黒本谷古墳
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黒本谷古墳 | |
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出土品(智頭町指定文化財) (智頭町埋蔵文化財センター展示) | |
所在地 | 鳥取県八頭郡智頭町智頭(字黒本谷) |
位置 | 北緯35度15分54.60秒 東経134度14分30.95秒 / 北緯35.2651667度 東経134.2419306度座標: 北緯35度15分54.60秒 東経134度14分30.95秒 / 北緯35.2651667度 東経134.2419306度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径10m |
埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
出土品 | 銅鋺・圭頭大刀・玉・馬具・須恵器 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀初頭 |
史跡 | なし |
有形文化財 | 出土品(智頭町指定文化財) |
地図 |
黒本谷古墳(くろもとだにこふん)は、鳥取県八頭郡智頭町智頭にあった古墳。形状は円墳。出土品は智頭町指定有形民俗文化財に指定されている。
概要
[編集]鳥取県南東部、智頭盆地東部の標高約300メートルの丘陵先端部に築造された小円墳である。1979年(昭和54年)に道路工事の際に発見され、現在ではほぼ消滅している[1]。
墳丘は詳らかでないが、直径10メートル程度の円形と推定される[1]。埋葬施設は片袖式と推定される小型の横穴式石室で、南東方向に開口した[1]。石室のうち玄室は、長さ2.4メートル・幅1.3メートルを測る[1]。石室内の副葬品としては、銅鋺・圭頭大刀をはじめとして、玉・馬具・須恵器などが出土している。特に銅鋺は、丸底・無蓋で、口径22センチメートル・器高5.75センチメートルを測り、鳥取県では谷奥古墳(鳥取市気高町)・上淀廃寺跡(淀江町)に次ぐ例として注目される[1]。また圭頭大刀は、木心金銅覆輪造で、圭頭・刀身・鞘・鞘尻金具を遺存する[1]。
築造時期は、古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[2]。小規模古墳ながら、当時先進的な仏教文化の山陰地方への伝達経路・時期を考察するうえで重要視される古墳になる[1]。
出土品は1988年(昭和63年)に智頭町指定有形民俗文化財に指定されている。
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銅鋺
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圭頭大刀
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轡
文化財
[編集]智頭町指定文化財
[編集]- 有形民俗文化財
- 黒本谷古墳出土品 - 1988年(昭和63年)1月27日指定[3]。
関連施設
[編集]- 智頭町埋蔵文化財センター 智頭町歴史資料館(智頭町埴師、旧智頭町立土師小学校内) - 黒本谷古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 黒本谷古墳(平凡社) 1992, p. [要ページ番号].
- ^ 新鳥取県史 資料編 考古2 古墳時代 2020.
- ^ 智頭町の指定・登録文化財(智頭町ホームページ)。
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 大塚初重「黒本谷古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「黒本谷古墳」『日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名』平凡社、1992年。ISBN 4582490328。
- 「黒本谷古墳」『智頭町誌 上巻』智頭町、2000年。
- 「黒本谷古墳」『新鳥取県史 資料編 考古2 古墳時代』鳥取県、2020年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『中河原古墳・黒本谷古墳発掘調査報告書(智頭町埋蔵文化財調査報告書1)』智頭町教育委員会、1983年。