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黒川清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒川 清
(くろかわ きよし)
生誕 (1936-09-11) 1936年9月11日(88歳)
居住 日本の旗 日本
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 日本の旗 日本
研究分野 医学
研究機関 ペンシルベニア大学
カリフォルニア大学ロサンゼルス校
南カリフォルニア大学
東京大学
東海大学
政策研究大学院大学
出身校 東京大学医学部卒業
主な受賞歴 腎研究会特別功労賞(2000年
科学の自由と責任賞2013年
Distinguished Achievement Award(2013年)
プロジェクト:人物伝
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黒川 清(くろかわ きよし、1936年9月11日 - )は、日本医学者内科学腎臓学医療政策科学政策)。

勲等旭日重光章学位医学博士東京大学1967年)。東京大学名誉教授政策研究大学院大学名誉教授、東海大学特別栄誉教授、World Dementia Council副議長、特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事

東海大学医学部学部長(第3代)、東海大学総合医学研究所所長、日本学術会議会長(第22・23代)、内閣特別顧問などを歴任した。

弟は都市工学者で東京工業大学筑波大学名誉教授の黒川洸。叔父(母の弟)は教育心理学者の続有恒

来歴

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生い立ち

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1955年成蹊高等学校卒業し、1962年東京大学医学部を卒業した[1]東京大学医学部附属病院でのインターンを経て、同大の大学院医学系研究科より博士号を取得し、アメリカ合衆国に渡った[1]

医学者として

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2013年1月26日世界経済フォーラム年次総会にて

当初はペンシルベニア大学医学部にて助手を務めたが、その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の医学部に移り、上級研究員や助教授を務めた[1]南カリフォルニア大学の医学部にて准教授を一時務めたのち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に再び戻り医学部の准教授や教授を歴任した[1]

日本に帰国後は、母校の東京大学に戻り、医学部の助教授や教授を務めた[1]。のちに東海大学に教授として転じ、医学部の学部長や総合医学研究所の所長を務めた[1]。その後、政策研究大学院大学に移り、政策研究科の教授となった[1]

学会などの公的活動としては、日本内科学会、日本腎臓学会、国際腎臓学会の理事長や国際内科学会議の会長といったさまざまな要職を歴任し、日本学術会議にて第19期の会長に任じられ、第20期の半ばまで務めた[1][2]。また、第1次安倍内閣成立にともない、内閣総理大臣安倍晋三に要請され、内閣官房にて内閣特別顧問に就任した[1]。日本で科学を担当する内閣特別顧問に就いたのは、黒川が初めてである[3]福田康夫内閣成立に際しても、内閣総理大臣の福田康夫の要請を受け内閣特別顧問を続投し、第34回主要国首脳会議にあわせて日本で開催されたG8+5科学顧問会合にも参加した[4]。しかし、麻生内閣の成立時に内閣特別顧問を退任した[5]2011年国会が設けた東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員長に任命された。2013年には、内閣官房の健康・医療戦略室にて健康・医療戦略参与に就任した[6]

現在は東京大学・政策研究大学院大学名誉教授、東海大学特別栄誉教授を務めている。また、特定非営利活動法人である日本医療政策機構の代表理事も務めている[7]

日本学術会議の副会長・会長として

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黒川は、2000年7月に日本学術会議の自然科学部門担当の副会長に就任、2003年7月には会長に就任し2006年9月まで務めた[8]。 黒川が学術会議会長のとき、副会長職が研究分野別の2人制から活動分野別の3人制に改められた[8]

また、 黒川が学術会議会長のとき、文部科学省高等教育局との二人三脚で、専門職大学院の設置ならびに専門職学位の創設(2003年施行)、司法制度改革に連動した法科大学院の設置(2004年施行)、薬学部6年制への移行(2006年施行)など、アメリカ政府年次改革要望書に沿った教育制度改革が次々と実施に移された。このとき博士号取得者の比率を主要国なみに引き上げる方針が示され、看護学系大学院がその受け皿となって現在は年500人ペースで看護学系博士が誕生するようになっている。また、黒川が会長職を退いた2007年には、大学における学士号の種類が従前の29種類から580種類にまで増えていた[9]

福島原発事故・国会事故調査委員会の委員長として

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菅直人政権のときの2011年12月8日、法律に基づいて国会に設置された福島第一原子力発電所事故国会事故調(NAIIC)の委員長に就任した[10]。調査は半年にわたって行われ、2012年7月5日に報告された[11]。黒川は報告に際する記者会見の最後に、ヨハネの黙示録を想起させるような予言めいたコメントを口にして会見を締めくくった。黒川はまた、2012年11月に開催された福島原発事故についての米国科学アカデミーの公聴会に日本の国会事故調の委員長として招聘された[12]。国会事故調が設置された12月8日は真珠湾攻撃のあった日、報告がなされた9月5日はアメリカ現地時間で同国の独立記念日であることから、国会事故調はアメリカ政府からの外圧で設置された事実上のアメリカ政府事故調ではないかという見方がある。

研究・業績

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専門は内科学腎臓学医療政策科学政策などであり、その業績に対して腎研究会特別功労賞が授与されている。また、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会での活動に対して、アメリカ科学振興協会からアジア出身者として初めて科学の自由と責任賞を授与された[13][14][15]。そのほか、東京アメリカンクラブから「Distinguished Achievement Award」を授与されている[16][17]

略歴

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2007年7月11日アメリカ合衆国保健福祉副長官代理エリック・ハーガン(右)と
2008年11月4日、ニューコンテクストカンファレンスにて
2013年1月24日世界経済フォーラム年次総会にて

賞歴

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栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 黒川清「Kiyoshi Kurokawa M.D., M.A.C.P..」『kurokawa』。
  2. ^ 「歴代会長・副会長一覧」『日本学術会議|歴代会長・副会長一覧日本学術会議
  3. ^ 黒川清「内閣特別顧問に」『Kiyoshi Kurokawa's blog: 内閣特別顧問に2006年10月6日
  4. ^ 黒川清「沖縄、G8科学担当大臣会議」『Kiyoshi Kurokawa's blog: 沖縄、G8科学担当大臣会2008年6月17日
  5. ^ 「奥田碩氏らが内閣特別顧問を退任」『奥田碩氏らが内閣特別顧問を退任 - MSN産経ニュース産経デジタル2008年10月17日
  6. ^ 「人事異動」『官報』6147号、国立印刷局2013年10月9日、9面。
  7. ^ 「役員」『日本医療政策機構 | 法人情報 | 役員』日本医療政策機構。
  8. ^ a b 歴代会長・副会長一覧 - 日本学術会議ホームページ。
  9. ^ 学士号急増580種 文科省、ルール化検討へ - 朝日新聞(2007年11月04日 asahi.comアーカイブ
  10. ^ 国会事故調、黒川委員長「国民目線で調査」 2011年12月8日 読売新聞アーカイブ
  11. ^ 事務局を閉鎖しました。 2012年10月24日 国会事故調 (NAIIC)。
  12. ^ 「黒川レポート」日米評価格差に愕然 2013年1月号 FACTA online。
  13. ^ Ginger Pinholster, "Fukushima Investigator Kiyoshi Kurokawa Wins AAAS Scientific Freedom and Responsibility Award", AAAS - Kiyoshi Kurokawa Wins Prestigious AAAS Award, American Association for the Advancement of Science, December 3, 2012.
  14. ^ 奥山智己「科学の自由と責任賞:黒川氏、アジア初の受賞」『科学の自由と責任賞:黒川氏、アジア初の受賞- 毎日jp(毎日新聞)毎日新聞社2013年2月26日
  15. ^ 黒川清「AAAS授賞式」『Kiyoshi Kurokawa's blog: AAAS授賞式2013年2月18日
  16. ^ "Past Recipients", Tokyo American Club - Community Recognition, Tokyo American Club.
  17. ^ 黒川清「Distinguished Achievement Award by the Tokyo American Club」『Kiyoshi Kurokawa's blog: Distinguished Achievement Award by the Tokyo American Club2013年2月21日
  18. ^ 特別栄誉教授授与式を挙行しました東海大学ウェブサイト 2019年01月26日
  19. ^ 役員等一覧 成蹊学園について”. 成蹊学園 (2021年7月1日). 2021年7月3日閲覧。
  20. ^ 政策研究大学院大学の黒川清教授がレジオン・ドヌール勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年7月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
吉川弘之
日本の旗 日本学術会議会長
第22・23代:2003年 - 2006年
次代
金澤一郎
学職
先代
玉置憲一
東海大学医学部学部長
第3代:1996年 - 2002年
次代
堀田知光
文化
先代
長澤俊彦
日本腎臓学会会長
第36代:1993年
次代
小磯謙吉