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黄潤鎬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黄 潤鎬(ファン・ユノ、朝鮮語: 황윤호/黃潤鎬1913年[1]または1914年8月16日 - 1977年1月7日[2])は、大韓民国政治家制憲国会議員。

経歴

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日本統治時代の慶尚南道晋陽郡(現・大韓民国慶尚南道晋州市)出身。晋州中学校を経て晋州高等普通学校中退。その後は晋州郡農業会で書記として勤務し、同郡井村面の面長、山清郡保健厚生課長などを務めた[3]。1948年の初代総選挙では晋陽郡選挙区から出馬し当選したが、南労党との関係が疑われる国会フラクション事件被告人となった[3]

朝鮮戦争の際に北朝鮮側が設立した機構であるソウル土地調査特別委員会K分科委員長[4]を務め、後は北朝鮮で在北平和統一促進協議会常務委員を務めた。1977年に64歳で死去、墓所は平壌龍城区域在北人士の墓にある[2]

祖国統一賞受賞者[2]

脚注

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  1. ^ 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年8月13日閲覧。
  2. ^ a b c 62기 중 안재홍 이광수 김효석 조헌영...등 좌우 인사 39명 묘소 최초 공개”. web.archive.org (2007年10月6日). 2007年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月13日閲覧。
  3. ^ a b 國會(국회)푸락치事件論告(사건논고) (3)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1950年2月17日). 2023年8月13日閲覧。
  4. ^ 北朝鮮側の主張によると、南労党出身の李承燁ソウル市人民委員会委員長を務めたとき、彼の過去の「親日行為」を知る人々を抹殺する際に「ソウル土地調査特別委員会K分科」を動員したが、黄はこの行動とは無関係である。