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李承燁 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李承燁
1950年
各種表記
チョソングル 리승엽
漢字 李承燁
発音 リ・スンヨプ
日本語読み: り しょうよう
MR式
2000年式
英語表記:
Ri Sŭng-Yŏp
Ri Seung-Yeop
Lee Seung-Yeop
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李承燁(リ・スンヨプ、1905年2月8日 - 1954年7月30日)は、朝鮮民主主義人民共和国政治家で、共産主義者。朝鮮労働党初代政治委員でもあり朴憲永の側近中の側近だった。

経歴

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日本統治時代に食糧配給組合に勤務していたほか、呂運亨の民族主義運動ともかかわりを持っていたとされる。1945年8月15日、日本の敗戦により朝鮮が「解放」を迎えると朝鮮共産党の再建に参加した。1950年8月朝鮮人民軍占領下のソウル市人民委員会委員長(市長)を務めた[1]

1952年10月、朝鮮労働党秘書と国家検閲相だった李承燁は、彼のパルチザン養成機関である金剛学院が政府転覆を図ったという名目で逮捕、翌年処刑された。

脚注

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  1. ^ 「講座 南鮮の改革 / 金志泰」『新しい世界』第39号、日本共産党出版局事業部、1950年10月1日、80頁、NDLJP:3542939/42 

外部リンク

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