鷹7 (航空機)
青航式鷹7型
霧ケ峰式鷹7型
鷹7(たか7)は、戦前から終戦を挟み、1952年の航空再開直後の日本で製造されたグライダーである。終戦までは青航式鷹7型、戦後は霧ケ峰式鷹7型として知られる[5]。「鷹」は仮名で「たか」「タカ」と表記される場合もある。1932年にドイツで開発されたグルナウ・ベビーII[3]を原型とし、戦前に白石襄治により再設計された[1][注 1]。戦後の航空主権返還直後の1952年5月11日に公開飛行を行い、戦後初めて登録されたグライダーであるJA2001「日本電建号」も本機種である。
機体
[編集]主翼は木製羽布張りのストラット支持翼である。主要構造はヒノキと合板を用いた1本桁Dボックス構造で、エルロン取り付け部には後桁が設けられている。エルロンも羽布張りである。ストラットは左右1本ずつ設けられている[10]。
水平尾翼は羽布張りで、水平安定板は主翼と同じくストラット支持となっている。垂直尾翼は羽布張りで、翼根部を除いてヒンジより前方がホーンバランスとして可動するため、垂直尾翼の大部分が方向舵となっている。ただし元来の設計ではピッチ、ヨーの安定が不足気味で、方向舵の効きも悪いため尾翼の改修を受けた機体が存在する。改修を受けた尾翼は面積が増え、方向舵のヒンジより前の可動面積を減らし、垂直安定板としている[10]。
胴体は木製合板によるセミモノコック構造となっており、コクピットは開放式ながら、密閉式のキャノピーを取り付けることもできる。降着装置は、元来の設計では胴体と尾部に取り付けられたスキッドのみであったが、固定式の車輪を胴体下に増設した機体も存在する。また元来の曳航フックは飛行機曳航向けに設計されており、ウインチ曳航、自動車曳航の場合にはピッチングを生じやすかった。この問題には、ウインチ曳航、自動車曳航に適した位置にフックを増設して対応された[10]。
機体は+5G、-2.5Gに耐えられる強度を持ち、宙返りなどの簡単な曲技飛行が可能な第2種滑空機[注 2]だった。当時、初級滑空機、中級滑空機での訓練を終えた後のソアリング訓練に使用できる数少ない機種の一つだった[11]。
JA2001「日本電建号」
[編集]1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効に伴い、航空主権が返還されることに合わせ、萩原木材工業で製造された[3]。1952年5月11日[注 3]、玉川スピードウェイで開催された独立日本航空青少年大会において日本グライダー倶楽部によって公開飛行が行われた[13]。滑車を用いた自動車曳航により飛行した[14]。愛称の「日本電建号」はスポンサーとなった日本電建株式会社に由来する[3]。
同年7月に航空法が公布されグライダーとして最初の登録記号JA2001が与えられた。その後、1959年頃まで運用され、総飛行回数は1785回だった[3][15]。
運用終了後、1960年に秩父宮記念スポーツ博物館に移された後、2002年に国立科学博物館の所蔵となった[3]。2010年10月から2011年2月に期間限定で開催された特別展「空と宇宙展―飛べ!100年の夢」で展示された以外は、非公開となっていたが[16]、2021年に設立された科博廣澤航空博物館で展示されることとなった[17]。
現存する機体
[編集]型名 | 番号 | 機体写真 | 所在地 | 所有者 | 公開状況 | 状態 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
霧ヶ峰鷹7[注 4] | JA2001 c/n 不明 |
茨城県筑西市 | 科博廣澤航空博物館 | 公開 | 静態保存 | 日本電建号 国立科学博物館所蔵[17] | ||
霧ヶ峰鷹7 | JA2002 c/n 不明 |
大阪府東大阪市 | 布施工科高校 | 非公開 | 不明 | [19] | ||
霧ヶ峰鷹7 | JA2011 c/n 不明 |
長野県諏訪市 | 霧ヶ峰グライダーふれあい館 | 公開 | 静態保存 | 復元機[20][21] | ||
鷹7 | 不明 | バンコク都ドンムアン区 | タイ王国空軍博物館 | 公開 | 静態保存 | [22] |
性能・諸元
[編集]出典: 一部を除き、日本航空学会誌第4巻24号「新飛行機」[10]
諸元
- 乗員: 1
- 全長: 6.06 m[注 5] (19 ft 11 in)
- 全高: 1.30 m (4 ft 3 in)
- 翼幅: 13.56 m[注 6](44 ft 6 in)
- 翼面積: 14.50 m2[注 7] (156.1 sq ft)
- 翼型: Gottingen 535
- 空虚重量: 130 kg[注 8] (290 lb)
- 最大離陸重量: 222 kg[注 9] (489 lb)
- アスペクト比: 12.68 [注 10][注 11]
- 水平安定板面積: 1.14 m2 (12.3 sq ft)(改修前), 1.51 m2 (16.3 sq ft)(改修後)
- 昇降舵面積: 1.04 m2 (11.2 sq ft)(改修前), 1.07 m2 (11.5 sq ft)(改修後)
- 垂直安定板面積: なし(改修前), 0.21 m2 (2.3 sq ft)(改修後)
- 方向舵面積: 0.74 m2 (8.0 sq ft)(改修前), 0.55 m2 (5.9 sq ft)(改修後)
- 荷重倍数:+5/-2.5 (安全率1.5)
性能
- 着陸速度: 44.6 km/h (27.7 mph; 24.1 kn))
- 最小沈下率: 0.82 m/s (161.4 ft/min) (@50.4 km/h (31.3 mph; 27.2 kn))[注 12]
- 最良滑空比: 18:1 (@61.2 km/h (38.0 mph; 33.0 kn))[注 13]
注釈
[編集]- ^ 戦時中には同様にグルナウ・ベビーを原型とし、堀川勲が設計、巴航空機工業が製造した「は-1」も存在した。[6]堀川は戦後もグライダーの設計を継続し、H-22[7]、H-23[8]、H-32[9]といったグライダーを世に送り出した。
- ^ かつての耐空性類別。改正後の耐空性類別では実用Uに相当。
- ^ 当初は5月3日に予定されていた。[12]
- ^ 国立科学博物館では霧ヶ峰式鷹7号と表記[18]
- ^ 6.03 m (19 ft 9 in)(青航式/1943年)[2]
- ^ 13.2 m (43 ft 4 in)(青航式/1943年)[2]
- ^ 14.2 m2 (152.8 sq ft)(青航式/1943年)[2]
- ^ 135 kg (298 lb)(青航式/1943年)[2]
- ^ 全備重量:210 kg (460 lb)(青航式/1943年)[2]
- ^ 上記諸元から計算。
- ^ 12.8(青航式/1943年)[2]
- ^ 0.9 m/s (177.2 ft/min) (@55 km/h (34.2 mph; 29.7 kn))(青航式/1943年)[2]
- ^ 18:1 (@65 km/h (40.4 mph; 35.1 kn))(青航式/1943年)[2]
出典
[編集]- ^ a b c d 佐藤博 1998, p. 138.
- ^ a b c d e f g h i 佐藤博 1998, p. 225.
- ^ a b c d e f NPO羽田航空宇宙科学館推進会議 2021.
- ^ 佐藤博 1998, p. 150.
- ^ 佐藤博 1998, p. 124.
- ^ 佐藤博 1998, p. 118.
- ^ 佐藤博 1998, p. 233.
- ^ 佐藤博 1998, pp. 236, 237.
- ^ 佐藤博 1998, p. 239.
- ^ a b c d 高橋政補 1956, p. 23.
- ^ 高橋政補 1956, pp. 23, 24.
- ^ 瀬尾央.
- ^ 日本航空協会 2014.
- ^ 日本グライダークラブ 2016.
- ^ 日本グライダークラブ 2002, p. 1.
- ^ 咲村珠樹 2021.
- ^ a b 国立科学博物館 2024.
- ^ 鈴木崇宣 2010.
- ^ 大阪府立布施工同窓会 2011.
- ^ AVIATIONMUSEUM.
- ^ 公益財団法人 八十二文化財団.
- ^ “鷹7型(タイ空軍博)”. 日本滑空協会 (2018年1月29日). 2024年8月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 佐藤博 著、木村春夫 編『日本グライダー史』海鳥社、1998年8月1日。ISBN 4-87415-272-4。
- 高橋政補「新飛行機」(PDF)『日本航空学会誌』第4巻第24号、日本航空学会、1956年1月31日、23,24、doi:10.2322/jjsass1953.4.23、ISSN 0021-4663、2024年7月20日閲覧。
- 瀬尾央. “最初の100機”. AIRWORKS. 2024年7月26日閲覧。
- 鈴木崇宣 (2010年11月18日). “~利用案内・情報 >> メールマガジン >> バックナンバー :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo”. 第389号. 国立科学博物館. 2024年7月26日閲覧。
- 日本航空協会 (2014年11月). “一般財団法人日本航空協会 航空遺産継承基金活動記録”. 航空遺産継承基金 平成26年11月活動記録. 2024年7月26日閲覧。
- 日本グライダークラブ (2016年10月3日). “エピソード2 – 日本グライダークラブ / Japan Soaring Club”. 2024年7月26日閲覧。
- 日本グライダークラブ (2002年). “日本グライダークラブ50周年の歴史(1951年~2001年)” (PDF). 2024年7月26日閲覧。
- “Kirigamine Glider Museum”. AVIATIONMUSEUM. 2024年7月26日閲覧。
- “信州の文化施設を探すSEARCH”. 諏訪市霧ヶ峰グライダーふれあい館. 公益財団法人 八十二文化財団. 2024年7月26日閲覧。
- “JA2002霞が峰式鷹七型グライダー”. 大阪府立布施工同窓会 (2011年6月28日). 2024年7月26日閲覧。
- 国立科学博物館 (2024年1月25日). “「科博廣澤航空博物館」一般公開開始 ~同日オープンのテーマパーク「ユメノバ」内~ 報道内覧会のご案内” (PDF). 2024年7月26日閲覧。
- NPO羽田航空宇宙科学館推進会議 (2021年3月4日). “【令和3年3月3日(水)】一般財団法人「科博廣澤航空博物館」設立のお知らせ”. 羽田航空博物館プロジェクトHASM. 2024年7月26日閲覧。
- 咲村珠樹 (2021年3月8日). “国立科学博物館らが茨城に「科博廣澤航空博物館」開設 南極観測ヘリS-58を移送”. おたくま経済新聞. 2024年8月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- Gottingen 535 airfoil
- 霧ヶ峰鷹7(登録記号:JA2009)。 1954年1月14日(木)、宇都宮飛行場 航空遺産継承基金 ギャラリー 高橋正夫氏アルバムNo.1 (日本航空協会ウェブサイト)