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鷲谷修也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鷲谷 修也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道登別市
生年月日 (1988-10-03) 1988年10月3日(36歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手内野手
プロ入り 2009年 MLBドラフト14巡目(全体492位)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
鷲谷 修也 Portal:陸上競技
選手情報
国籍 日本の旗 日本
種目 短距離走
大学 上智大学
生年月日 (1988-10-03) 1988年10月3日(36歳)
出身地 北海道登別市
体重 73kg
引退 2014年
自己ベスト
100m 11秒44 (2012年)
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鷲谷 修也(わしや なおや、1988年10月3日 - )は、北海道登別市出身の元プロ野球選手外野手)、元陸上競技選手(短距離走)、車椅子ソフトボール選手。

経歴

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小・中学校時代

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小学3年生の時に野球を始める。登別西陵中時代はリトルシニアチームでプレーし、3年時に北海道大会で準優勝。複数の強豪校から勧誘を受けたが、見学した時の雰囲気が気に入ったという駒大苫小牧高に特待生として入学[1]田中将大と同期となる[2]

高校時代

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1年夏までは「落ちこぼれ組」だったが、香田誉士史監督のアドバイスで打撃が向上し秋の明治神宮野球大会で初めてベンチ入りする[1]2005年第87回全国高等学校野球選手権大会に出場、優勝メンバーとなる[2][3]。翌2006年春には不振となり一時ベンチ入りメンバーからも外れたが[4]、夏の南北海道大会では2打席連続本塁打、第88回全国高等学校野球選手権大会にはレギュラーとして出場し3回戦の青森山田高戦でも本塁打を放つ[1]早稲田実業高と対戦した決勝と再試合では斎藤佑樹に対し6打数0安打3三振。再試合の途中で代打を送られたこともあって自信をなくし、卒業後は野球から離れることにした[1]

在米時代

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スポーツトレーナーの勉強をするつもりで筑波大をスポーツ推薦で受験するが不合格となり[5][6][1]、半年間英語を勉強した後アメリカ・カリフォルニア州デザート短大の一般入試を受けて合格[3]。学歴を得るための入学だったが、評価の足しになればと送った高校時代のプレーのビデオが関係者の興味を引き、野球部へ入ることになる[1]

同州南部の短大などが集まるリーグで4番・右翼手として4割近い打率を残したことで複数のメジャー球団から調査書が送られてくるようになり[1]2008年MLBドラフト42巡目(全体で1261番目)でワシントン・ナショナルズから指名を受ける。「気持ちの準備ができていない」として指名を辞退[2][6]したものの、この指名によって野球に対し真剣に取り組む気持ちになったという[1]

2年目も打率3割をキープし盗塁数も増えるなど活躍。2009年6月のMLBドラフト14巡目(全体で412番目)で再びナショナルズから指名され[7][8]、当初は4年制大学への編入を希望したが指名を許諾した。その理由について「オフに北海道に戻って多くの人が応援してくれていることを知りチャレンジを決めた」と語っている[6]。日本人選手がドラフト指名を経て選手契約を結ぶのは、2002年コロラド・ロッキーズが当時アリゾナ・ウェスタン短期大学に所属していた坂本充を指名したのに続き2例目だった[3][6][8]

短大は首席で卒業し、卒業式ではスピーチを行った。

2009年、ルーキークラスのガルフコーストリーグ・ナショナルズで40試合に出場し打率.246、14打点、12盗塁、左翼手で18試合、右翼手で12試合、中堅手で6試合に出場しチームのリーグ優勝に貢献した[2]

2010年1月にはピッツバーグ・パイレーツに所属する岩村明憲の合同自主トレーニングに参加しハイA(1A)でのプレーを目指した[9][10]。春のキャンプでは有望選手のグループに入れなかったものの、ウエイトトレーニングなどの効果が表れ始めていた[1]同年6月中旬、ルーキーリーグ開幕を前に同チームから解雇され、日本に帰国した[11][12]

独立リーグ時代

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その後社会人野球チームから誘いがあったものの元プロであることから断念。駒大苫小牧高監督だった香田のつてでベースボール・チャレンジ・リーグ石川ミリオンスターズを紹介され、2010年7月15日に入団が発表された。守備が安定せず指名打者での出場が増え、打率も当初は4割を超えていたものの肩の痛みもあって最終的に3割まで低下した[1]

2011年5月4日、本人の希望により石川ミリオンスターズを退団。6日には、右肩痛などの影響もあることから現役引退を表明した。

現役引退後

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2011年12月に上智大学外国語学部英語学科への3年生の編入試験に合格、2012年4月に入学した[13]。入学後は陸上短距離走に転身している。当初100mのタイムは11秒44だったが、同年7月に追い風参考記録ながら11秒18をマーク。ジャマイカレーサーズ・トラック・クラブ英語版での合同トレーニングにも参加した[14]

2014年に大学卒業した後は外資系証券会社に入社した[15]。その後、2022年9月に三井物産に転職し、金属資源本部で働いている[16]

上智大学在学時、陸上部の合宿で知り合った齊藤雄大に誘われ、車椅子ソフトボールを初めてプレイする。しばらくは車椅子ソフトボールから離れていたが、2015年に再び齊藤に車椅子ソフトボールの練習に誘われ、競技を再開。同年7月、「東京レジェンドフェローズ」の一員として全日本車椅子ソフトボール選手権大会に出場し、優勝。同年9月初開催のライオンズカップ車椅子ソフトボール大会にも主力の一人として出場した。2016年には上智大学在学生やOB・OGを中心とした「上智ホイールイーグルス」を立ち上げ、主将を務めた[17][18]

学生野球資格回復制度研修を受講し、2023年2月3日付で資格を回復している[19]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2010 石川 33 115 14 35 4 2 1 10 10 7 1 12 1 24 0 .304 .375 .400 .775
2011 7 14 2 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 4 0 .071 .133 .007 .140
通算:2年 40 129 16 36 4 2 1 10 10 7 1 13 1 28 0 .279 .347 .419 .766

背番号

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  • 3 (2010年 - 2011年)

関連書籍

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  • 『鷲谷修也の挑戦』文武両道で叶えるメジャーへの道[20] (遠藤友彦 エイチエス、2009年) ISBN 978-4-903-70714-3 (新装版として同社より2010年に発行分有 ISBN 978-4-864-08918-0
  • 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』
  2. ^ a b c d 苫小牧からアメリカへ、鷲谷修也という男の挑戦。~MLBにドラフト入団した21歳~”. Sports Graphic Number (2010年2月9日). 2010年11月6日閲覧。
  3. ^ a b c Nationals pick Japanese outfielder in draft”. japanball.com (2009年6月11日). 2010年11月6日閲覧。
  4. ^ 駒大苫小牧 鷲谷 修也選手”. 朝日新聞 (2006年7月26日). 2010年11月6日閲覧。
  5. ^ 駒苫甲子園V戦士・鷲谷さんが米留学”. 日刊スポーツ (2007年4月6日). 2010年11月6日閲覧。
  6. ^ a b c d 東京中日スポーツ・2009年6月12日付 6面
  7. ^ ナショナルズが鷲谷を指名 駒大苫小牧高優勝メンバー”. 共同通信 (2009年6月11日). 2010年11月6日閲覧。
  8. ^ a b Jason Coskrey (2009年7月15日). “Washiya eyes quick climb to majors”. ジャパン・タイムズ. 2010年11月6日閲覧。
  9. ^ 岩村に怒られた駒苫出身外野手「僕があまりにも適当で…」”. スポーツニッポン (2010年1月14日). 2010年11月6日閲覧。
  10. ^ 西武・中島、ハマ内川を祝福「おめでとう」”. サンケイスポーツ (2010年1月14日). 2010年11月6日閲覧。
  11. ^ ナショナルズ傘下の鷲谷修也が解雇”. 日刊スポーツ (2010年7月1日). 2010年7月1日閲覧。
  12. ^ ナ軍傘下の鷲谷が解雇 楽天・田中の同級生”. サンケイスポーツ (2010年7月1日). 2010年11月6日閲覧。
  13. ^ FRIDAY (雑誌) (2013年7月27日). “甲子園決勝再試合の夏から7年…早稲田実業 駒大苫小牧 栄光の球児たちの「その後」”. 現代ビジネス. 講談社. 2024年3月15日閲覧。
  14. ^ マー君と駒苫で同期の鷲谷 ボルトに“弟子入り””. スポーツニッポン (2012年10月19日). 2013年1月13日閲覧。
  15. ^ 「野球で培った修正力でビジネスでのメジャーリーガーを目指す」元プロ野球選手 鷲谷 修也
  16. ^ 十島功 (2023年1月9日). “《人ほっとコーナー》元駒苫V戦士の鷲谷修也さん(34)”. 道新スポーツ. 2023年7月13日閲覧。
  17. ^ 斎藤寿子 (2016年11月18日). “元球児・鷲谷修也が「車椅子ソフトボール」に魅せられた理由”. The BORDERLESS. http://theborderless.jp/2910/ 2020年9月12日閲覧。 
  18. ^ 車椅子ソフトボール|サステナビリティ”. 中外製薬. 2020年9月12日閲覧。
  19. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人 日本学生野球協会. 2023年10月27日閲覧。
  20. ^ 米マイナーリーグで活躍 駒苫V戦士 鷲谷さんの挑戦紹介”. 北海道新聞 (2009年8月4日). 2010年11月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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