鶴丈一郎
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鶴 丈一郎(つる じょういちろう、1858年12月7日(安政5年11月3日[1][2]) - 1926年(大正15年)11月28日[2])は、明治から大正時代の司法官。大審院判事。
経歴
[編集]肥前佐賀出身[1][2]。鶴千左衛、千賀子の子[3]。先代ひでの養子となり、1884年(明治17年)家督を相続する[1]。司法省法学校を卒業し、神戸、広島、鳥取、大阪各地方裁判所検事を経て、1898年(明治31年)大審院判事に任じた[2]。大逆事件の裁判長として知られる[2]。
親族
[編集]- 義祖父(又は義伯父-養妹):川田甕江(川田剛) (漢学者 山田方谷門下 錦鶏間祗候 東宮侍講、宮中顧問官、古事類苑編修総裁、諸陵頭、東京帝国大学教授、華族女学校校長、斯文学会講師、帝室博物館理事、貴族院議員)
- 義父:四屋恒之(漢学者 太政官歴史課編修官、元老院書記官、文官普通試験委員、帝国大学・華族女学校・斯文学会講師)
- 義母:四屋クラ(川田甕江(川田剛) 養妹)
- 義姉:松室コト(四屋恒之 長女、松室致の妻)
- 妻:鶴テイ(四屋恒之 娘)
- 三男:鶴友彦(台湾総督府官僚、澎湖庁長、海軍司政長官)[4]
- 子:鶴為彦(台湾総督府官僚、陸軍司政官)[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。