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鮫島慶彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鮫島 慶彦
生年月日 1865年9月4日[1]
出生地 鹿児島県川辺郡加世田村[2]
(現南さつま市
没年月日 1928年10月4日[3]
前職 鹿児島県会議員[2]
所属政党 立憲政友会[2]

当選回数 1回[3]
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鮫島 慶彦(さめしま けいひこ[4]1865年10月23日慶応元年9月4日[1] - 1928年昭和3年)10月4日[3][4])は、日本政治家実業家[4]鹿児島県会議員[1]衆議院議員(鹿児島県郡部選出、当選1回)[3]。南薩鉄道社長[5]。万瀬水力電気、鹿児島火山灰珪藻土、薩摩製糸、南薩林業各取締役[5]。族籍は鹿児島県士族[1][2][5]

人物

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慶応元年、薩摩国加世田生まれ。鹿児島県士族・鮫島郷兵衛の二男[1][5]。先代次右衛門の養子となり1875年家督を相続する[5]

東京の二松学舎漢学を学ぶ[4]。帰郷後、村議、鹿児島県会議員をへて、立憲政友会県支部長となり、1908年明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で当選し衆議院議員を1期つとめる。

1912年明治45年)南薩鉄道を創立し、社長をつとめる。社長職は無報酬で、自らつるはしをふるい、1914年大正3年)、伊集院駅-伊作駅間が開通する。また万瀬発電を完成させ、川辺日置指宿に電灯をともした。1928年10月4日死去[4]。64歳[4]。住所は鹿児島県鹿児島市長田町[1]、川辺郡加世田町[5]

家族・親族

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鮫島家
  • 養父・次右衛門[1][5]
  • 妻・ヨシ1879年 - ?、鹿児島士族、川田武彦の妹)[5]
  • 養子・三雄1881年 - ?、長女テルの夫、鹿児島士族、川田武彦の弟)[5]
  • [5]
  • [5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』サ78 - 79頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月1日閲覧。
  2. ^ a b c d 『衆議院要覧 明治41年12月訂正』384頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月1日閲覧。
  3. ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』228頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 鮫島 慶彦とはコトバンク。2022年4月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第8版』サ137頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月2日閲覧。

参考文献

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  • 『衆議院要覧 明治41年12月訂正』衆議院事務局、1897 - 1909年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。