高野ムツオ
高野 ムツオ(たかの ムツオ、1947年7月14日 - )は、宮城県出身の俳人。本名は高野睦夫。金子兜太の「海程」所属を経て佐藤鬼房に師事、鬼房の跡を継ぎ現「小熊座」主宰。2024年、現代俳句協会会長に就任[1]。多賀城市在住[2]。
経歴
[編集]岩ケ崎町(現栗原市)に生まれる。栗駒町立岩ヶ崎中学校、宮城県古川工業高等学校を経て、國學院大學文学部文学科を卒業。小学生のころより父に連れられて句会や吟行会に参加。10歳のころ、初の投句が句会で来町していた阿部みどり女の選に入る。中学時代には『河北新報』のみどり女選の俳句欄に投句、高校時代よりみどり女主宰の俳誌「駒草」に投句した。神奈川県の地方公務員として勤務する傍ら、国学院の夜間部では俳句研究会に入会し機関誌を発行。また金子兜太の「海程」に入会し同神奈川支部にも出入りする。
大学卒業後は仙台で中学校の国語科教諭として勤務。1972年、海程新人賞準賞を受賞。1985年、佐藤鬼房の「小熊座」が創刊され、翌年より校正に携わる。1987年、金子兜太の勧めにより第一句集『陽炎の家』を出版。1988年、第24回海程賞を受賞。1993年、第二句集『烏柱』出版。1994年、宮城県芸術選奨、第44回現代俳句協会賞を受賞。2002年の佐藤鬼房の逝去ののち「小熊座」を主宰。
2007年に咽頭癌手術を経験、2011年に東日本大震災に直面し、以降積極的に震災詠を作る。2013年、「四肢へ地震ただ轟轟と轟轟と」「車にも仰臥という死春の月」「みちのくの今年の桜すべて供花」など、震災詠を多数含む第五句集『萬の翅』を上梓。同句集により第65回読売文学賞(詩歌俳句賞)、第6回小野市詩歌文学賞、第48回蛇笏賞受賞。蛇笏賞は戦後生まれ初の受賞者。また深見けん二『菫濃く』と同時受賞であり、2作受賞は31年ぶりとなる[3]。
その他の句集に『雲雀の血』(1996年)、『蟲の王』(2003年)がある。俳句研究賞選考委員、角川俳句賞選考委員、河北俳壇選者、日本現代詩歌文学館館長などを務める。
著書
[編集]- 陽炎の家(1987年)
- 烏柱(1993年)
- 雲雀の血(ふらんす堂〈21世紀俳人シリーズ〉、1996年)
- 蟲の王(角川書店〈小熊座叢書 69>、2003年)
- 高野ムツオ集(邑書林〈セレクション俳人 10〉、2007年)
- NHK俳句 大人のための俳句鑑賞読本 時代を生きた名句(NHK出版、2012年)
- 萬の翅(角川学芸出版、2013年)
- 片翅(邑書林、2016年)
- 語り継ぐいのちの俳句 - 3・11以後のまなざし(朔出版、2018年)
- 鑑賞 季語の時空(角川文化振興財団、2020年)
- あの時―俳句が生まれる瞬間(写真・佐々木隆二、朔出版、2021年)
脚注
[編集]- ^ 現代俳句協会 役員
- ^ “俳句が多賀城の文化をつくる 「壺の碑」全国俳句大会 俳句を募集中”. 多賀城市市民活動サポートセンター“たがさぽPress”. 2021年8月30日閲覧。
- ^ 俳句・蛇笏賞の2人、高野ムツオと深見けん二 31年ぶりの2作受賞 朝日新聞デジタル 2014年6月3日
- ^ “NHK俳句”. NHK. 2023年4月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 坂口昌弘著『平成俳句の好敵手』文學の森
- 高野ムツオ 『高野ムツオ集』 邑書林、2007年。(小熊座HPに略歴の転載あり[1])