高草木昭允
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高草木 昭允 たかくさぎ てるちか | |
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生誕 | 1927年11月18日[1] |
出身地 | 日本 群馬県桐生市 |
死没 | 1994年8月15日(66歳没) |
学歴 | 関東短期大学 卒業 |
ジャンル | 県民歌、町歌、校歌 |
職業 |
作詞家 桐生市総務課長 |
活動期間 | 昭和時代後期 |
高草木 昭允(たかくさぎ てるちか、1927年11月18日 - 1994年8月15日)は、日本の作詞家。群馬県桐生市出身。
経歴
[編集]1927年(昭和2年)、桐生市に生まれる。関東短期大学を卒業後、桐生市役所に入庁し総務課へ配属された[1]。公務員としての職務の傍ら作詞に取り組み、教育委員会社会教育課長在職時の1968年(昭和43年)に県が明治百年を記念して実施した3代目県民歌の一般公募で応募作が入選する[2]。これ以降、一般公募や直接の依頼を受けて県内の複数の小中学校で校歌を作詞した[2]。
桐生市立中央公民館長兼青少年センター長[1]、市議会事務局長を経て市総務課長に至る[3]。1994年(平成6年)8月15日逝去[3]。享年68(満66歳没)。
主な作品
[編集]参考文献
[編集]- 『桐生人名事典 1977年版』(桐生タイムス社、1977年) NCID BA47493812
- 手島仁「群馬県歌の史的考察」(群馬県地域文化研究協議会『上毛文化』2003年1月号, pp29-53)
出典
[編集]関連項目
[編集]- 群馬テレビ - オープニングとクロージングで「群馬県の歌」を演奏しているが、以前は作詞者の名義が誤って「高草木昭充」とクレジットされていた。