高翼
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高 翼(こう よく、? - 530年)は、北魏末の官僚。字は次同。本貫は渤海郡蓨県[1][2][3]。
高頤(高讜の弟)の子として生まれた。孝昌末年、葛栄が河北で乱を起こすと、高翼は北魏の朝廷により渤海郡太守に任じられた。叛乱が拡大すると、高翼は部衆を率いて黄河と済水の流域の間に移住した。北魏が東冀州を置くと、高翼は東冀州刺史となり[4]、鎮東将軍の号を加えられ、楽城県侯に封じられた[1][2][3]。永安3年(530年)、撫軍将軍・定州刺史となった[5]。爾朱兆が孝荘帝を殺害すると、爾朱兄弟の誅滅を諸子に誓ったが、事を成す前に死去した。中興元年(531年)、使持節・侍中・太保・録尚書事・冀定瀛相殷幽六州諸軍事・冀州刺史の位を追贈され、諡を文宣といった[1][2][3]。
子女
[編集]脚注
[編集]伝記資料
[編集]参考文献
[編集]- 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
- 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
- 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。
- 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。