コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高畠五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高畠眉山から転送)

高畠 五郎(たかばたけ ごろう、文政8年5月5日1825年6月20日) - 明治17年(1884年9月4日)は、幕末明治蘭学者。西洋兵学、砲術を研究。姓は、幼名玖二五郎。維新後、眉山。諱は道憲高畠耕斎の弟。父は阿波国蘭方医徳島藩藩医高畠深造。母は斉藤氏鷹

生涯

[編集]

出自

[編集]

阿波国徳島に生まれる。

蘭学修行

[編集]

幕臣として

[編集]

新政府に出仕

[編集]

エピソードなど

[編集]

著書

[編集]
  • 『交戦条規約説』[15]

脚注

[編集]
  1. ^ 伊東玄沢家塾象先堂の門人姓名録(「伊東玄朴伝」7頁)より。同藩宮崎友三郎が請負人。
  2. ^ 佐久間象山門人帳「及門録」嘉永3年の条に「松平阿波守様御家来高畠五郎」とある。
  3. ^ 蕃書調所職員明細帳
  4. ^ 田村維則『勝海舟伝』
  5. ^ シーボルト先生其生涯及功業」156~216頁、『福澤全集』7巻43頁
  6. ^ 成島柳北の『航西日乗』(明治文化全集第16巻、434~439頁)
  7. ^ 外部リンク参照(「トミー 立石斧次郎 長野桂次郎 をひ孫が紹介 HOWDY TOMMY」)
  8. ^ 福翁自伝』 - 「攘夷論」 - 「英艦来る」
    その手紙の来たのがその歳の二月十九日、長々とした公使の公文が来た。その時に私共が翻訳する役目に当っているので、夜中に呼びに来て、赤坂に住まっている外国奉行松平石見守の宅に行ったのが、私と杉田玄端、高畠五郎、その三人で出掛けて行って、夜の明けるまで翻訳したが、これはマアどうなることだろうか、大変なことだと窃に心配した…
  9. ^ 福翁自伝』 - 「雑記」 - 「暗殺の心配」
    ある日、本郷に居る親友高畠五郎を訪問していろいろ話をしている中に、不図気が付いてみると恐ろしい長い刀が床の間に一本飾ってあるから、私が高畠に向かって、あれは居合刀のようだが何にするのかと問えば、主人の言うに、近来世の中に剣術が盛んになって刀剣が行われる、ナニ洋学者だからといって負けることはない、僕も一本求めたのだとリキンデいるから、…
  10. ^ 福翁百餘話』 - 「禍福の発動機」
    この時に当り阿波藩の一友(しかと覚えざれども高畠五郎なりしと思う)余に告げて、足下は試に我藩の主人公に面会する気はなきやと云うに答え、僕は従前自分の藩に居てさえ藩主へは唯一両度例の御目見したるのみにて親しく談話せしことなし、全体僕の生来大名は嫌にて、誰れにも余り多く面会せざれども、…
  11. ^ 明治13年のみ(子孫所蔵)
  12. ^ 幕末洋学史の研究、332頁
  13. ^ 古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開、56頁
  14. ^ 古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開、263頁
  15. ^ 1880年明治13年)刊行。原著者はオランダ人、ボール・チュガル。

参考文献

[編集]
  • 原平三『幕末洋学史の研究』1992年。ISBN 978-4-40-401900-4 ASIN 4404019009
  • 『続 洪庵・適塾の研究』思文閣出版、2008年。ISBN 978-4-78-421388-7 ASIN 4784213880
  • 小野寺龍太『古賀謹一郎 ―万民の為、有益の芸事御開』ミネルヴァ書房、2006年。ISBN 978-4-62-304648-5 ASIN 4623046486
  • 神河庚蔵『阿波国最近文明史料』臨川書店、1973年。 
  • 飯田義資『高畠五郎日記』徳島県立図書館、1955年。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]