コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高田茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高田 茂(たかだ しげる、1893年明治31年)6月23日[1] - 1958年昭和33年)[2])は、昭和期の政治家。長野県飯田市長。旧名は上原 悌三郎[1][2]

来歴

[編集]

長野県北安曇郡池田町村[2](現池田町[3])で、上原義一郎の四男として生まれた[1]。旧制大町中学(現長野県大町岳陽高等学校)を経て[2]旧制東京高等蚕糸学校卒業[1][2]。1929年(昭和4年)下伊那郡上飯田町(現飯田市)の旧庄屋で長野県会議長を務めた高田茂の養子となり、同名を襲名した[1][2][3]

1933年(昭和8年)上飯田町会議員、1937年(昭和12年)飯田市会議員を経て[1]、1947年(昭和22年)に施行された初の公選による飯田市長選挙で当選し、1955年(昭和30年)3月まで2期務めた[1]飯田大火の影響で延期となった第1回参議院議員通常選挙への対応や、市街地の復興などに尽力した[1][2][3]

親族

[編集]
  • 妻 高田あき(医師、県教育委員)[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長 第2巻』266頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『長野県歴史人物大事典』410頁。
  3. ^ a b c 『長野県風土記』535頁。

参考文献

[編集]
  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
  • 宝月圭吾編『長野県風土記』旺文社、1986年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。