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高田久右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2代 高田 久右衛門(たかだ きゅううえもん[1][注釈 1]明治9年(1876年11月2日[2] - 昭和13年(1938年4月20日[3])は、日本実業家大阪府多額納税者[4]伊藤萬商店(株)監査役[4]。大阪府人、高田久右衛門の孫[5]・高田久太郎の長男[6]。前名久三郎[6]

人物像

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明治25年(1892年家督相続[6]。趣味は長唄書画骨董[6]。大阪府在籍[5]

家族・親族

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高田家

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大阪府大阪市東区(現中央区道修町[6]兵庫県芦屋市東山町[7]
『明治人名辞典Ⅱ 上巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』)たノ二十九によると、「たかた、きうゑもん 高田久右衛門 君は大阪の唐紅花商にして三島紡績株式会社監査役、大阪毛絲株式会社取締役なり(二九四圓餘)」
  • 父・久太郎[6]
  • 母・ミツ[5]
嘉永6年(1853年)1月生[5] - 没
明治19年(1886年)3月生[6] - 没
明治40年(1907年)8月生[6] - 没
昭和8年(1933年京大法学部卒業[7]。趣味はゴルフ野球[7]宗教仏教[7]。住所は兵庫県芦屋市東山町[7]
  • 長女
明治42年(1909年)10月生[2]
  • 次男・[6]
明治44年(1911年)9月生[6] - 没
  • 三男
大正2年(1913年)5月生[9]
大正3年(1914年)9月生[6] -
大正6年(1917年)3月生[6] -

関連

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『明治人名辞典Ⅱ 上巻』では「たかた」。

出典

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  1. ^ 高田久右衞門 (第8版 昭和3(1928)年7月 の情報) - 『人事興信録』データベース
  2. ^ a b c 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、た101頁。
  3. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.286。
  4. ^ a b 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下タ一五六
  5. ^ a b c d e 『人事興信録』(昭和3年)タ一〇九
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下タ一五七
  7. ^ a b c d e f g 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)た九二
  8. ^ 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上イ九八
  9. ^ 『人事興信録 4版』人事興信所、1915年、た77頁。