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高済

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高 済(こう さい、? - 569年)は、中国北斉皇族。博陵文簡王。高歓の十二男[1][2][3]。母は婁昭君[4][5][6]

経歴

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天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高済は博陵王に封ぜられた[7][8][9]。高済が文宣帝の巡幸に従ったことがあったが、道中で母の婁太后のことが恋しくなり、逃げ帰ったことがあった。文宣帝が怒って白刃をつきつけると、高済は驚きのあまり魂の抜けたようになった[1][2][3]太寧元年(561年)11月、太尉の位にのぼった[10][11][12]河清元年(562年)、定州刺史として出向した。天統5年(569年)1月[13][14][15]、定州の人に反乱の計画を諮問した。後主がこのことを聞くと、ひそかに人を派遣して高済を殺させた。仮黄鉞・太尉・録尚書事の位を追贈された[16][2][3]

子の高智が後を嗣いだ[16][17][3]

脚注

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  1. ^ a b 氣賀澤 2021, p. 167.
  2. ^ a b c 北斉書 1972, p. 139.
  3. ^ a b c d 北史 1974, p. 1867.
  4. ^ 氣賀澤 2021, p. 155.
  5. ^ 北斉書 1972, p. 131.
  6. ^ 北史 1974, p. 1859.
  7. ^ 氣賀澤 2021, p. 79.
  8. ^ 北斉書 1972, p. 52.
  9. ^ 北史 1974, p. 246.
  10. ^ 氣賀澤 2021, p. 117.
  11. ^ 北斉書 1972, p. 90.
  12. ^ 北史 1974, p. 282.
  13. ^ 氣賀澤 2021, p. 129.
  14. ^ 北斉書 1972, p. 102.
  15. ^ 北史 1974, p. 291.
  16. ^ a b 氣賀澤 2021, p. 168.
  17. ^ 北斉書 1972, p. 138.

伝記資料

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参考文献

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  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4