高津忠夫
生誕 | 広島県 |
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死没 | 1974年12月6日(64歳没) |
研究分野 |
小児神経学 母子保健学 感染症学 |
研究機関 |
東京大学 信州大学 杏林大学 |
出身校 | 東京大学 |
プロジェクト:人物伝 |
高津 忠夫(たかつ ただお、1910年〈明治43年〉3月3日 - 1974年〈昭和49年〉12月6日)は、日本の医師、小児科学者。東京大学 名誉教授。栄典は正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1939年)。
人物
[編集]日本における小児神経学の黎明期には『小児のてんかんは精神科ではなく小児科で診る』[1]の考えのもと診療をおこなった。
1961年に『日本小児神経学会』の前身にあたる小児臨床神経学研究会を設立[2]、1967年に『日本小児腎臓病学会』の前身にあたる日本小児腎臓病研究会を設立[3]した。他にも研究会や勉強会の立ち上げをおこない、日本の小児科学の発展、治療、研究等に大きな功績を残した。
また日本初の輸液用電解質液(ソリタ-T1等)の開発者としても知られている[4]。
来歴
[編集]広島県生まれ。1933年〈昭和8年〉東京帝国大学医学部卒、同年、東京大学医学部 小児科教室 副手、1939年〈昭和14年〉医学博士取得。1944年〈昭和19年〉山梨県立医学専門学校 教授、1947年〈昭和22年〉山梨県立病院小児科 部長、1949年〈昭和24年〉松本医科大学 講師、同年、信州大学 教授。
1954年〈昭和29年〉東京大学医学部 教授、1961年〈昭和36年〉日本小児科学会 理事長(併任)、1966年〈昭和41年〉東京大学医学部 保健学科 母子保健学 初代主任教授(現東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻 国際生物医科学講座 発達医科学)、1970年〈昭和45年〉東京大学定年退官、東京大学名誉教授。
1970年〈昭和45年〉杏林大学医学部 小児科学教室 初代主任教授[5]、杏林大学医学部付属病院 院長(併任)に着任した[6]。
1974年〈昭和49年〉没後、正五位・勲二等旭日重光章受勲[7]。
著書
[編集]- 『乳児消化不良性中毒症』 (医家叢書) 日本医学雑誌, 1950
- 『下剤・止瀉剤とその臨床』 (治療薬叢書) 医歯薬出版, 1953
- 『乳児下痢症の治療』医学書院, 1954
- 『小児科学講義』診断と治療社, 1959
共編著・監修
[編集]- 『救急療法 改訂3版』星子直行,戸塚忠政共著. 金原出版, 1955
- 『ポリオ 急性灰白髄炎(脊髄性小児麻痺)の最新の知見 臨牀の進歩』平山宗宏ほか共著 永井書店, 1956
- 『小児科最近の進歩』第1ー2集 中村兼次共編. 医歯薬出版, 1956-59
- 『東大小児科治療指針』監修. 診断と治療社, 1958
- 『日本小児科全書 第3編 小児疾患の症状と診断』吉田久,馬場一雄共著 金原出版, 1962
- 『小児科学』編. 医学書院, 1963
- 『小児薬用量』編. 診断と治療社, 1964
- 『現代小児科学大系 第7巻』遠城寺宗徳,永井秀夫,西澤義人共監修,荒川雅男,永山徳郎,山田尚達編集. 中山書店, 1968.11
- 『病態栄養学双書 10 小児』松見富士夫共編 日本栄養士会編. 第一出版, 1970
- 『母子保健学の進歩 第1集(1970年)』平山宗宏共編. 診断と治療社, 1970
- 『予防接種の手帖 じょうずに予防接種を受けるために』福見秀雄共著 近代医学社, 1971.9
- 翻訳
- ベンジャミン・スポック, マイケル・B.ローゼンバーグ共著『スポック博士の育児書』奥山和男共監修, 暮しの手帖翻訳グループ訳. 暮しの手帖社, 1966
所属学会
[編集]など
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “てんかん余話 福山幸夫”. メディカルレビュー社 (2013年4月10日). 2013年4月10日閲覧。
- ^ “学会の沿革”. 一般社団法人 日本小児神経学会 (2018年4月10日). 2018年4月10日閲覧。
- ^ “沿革”. 一般社団法人 日本小児腎臓病学会 (2017年6月20日). 2017年6月20日閲覧。
- ^ “小児を救った命の水~輸液療法と「ソリタ」‐T輸液開発の物語”. 味の素株式会社 (2022年7月1日). 2022年7月1日閲覧。
- ^ “教授挨拶 - 杏林大学医学部小児科学教室”. 杏林大学 (2021年5月1日). 2021年5月1日閲覧。
- ^ “杏林医会誌6巻2号1975年6月”. 杏林医会誌 (1975年6月1日). 2023年4月1日閲覧。
- ^ 高津忠夫先生を悼む