高橋義博
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高橋義博 | |
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第127回目黒記念パドック(2013年5月26日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県 |
生年月日 | 1951年2月7日(73歳) |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
初免許年 | 1998年 |
引退日 | 2020年8月20日 |
通算勝利 | 132勝 |
重賞勝利 | 2勝 |
G1級勝利 | 1勝(2010年中山大障害) |
経歴 | |
所属 |
美浦・大久保勝之/調教助手(1979.11 - 1988.9) 美浦・笹倉武久/調教助手(1988.9 - 1998.2) 美浦T.C.(開業 - 2020.8.20) |
高橋 義博(たかはし よしひろ、1951年2月7日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属していた調教師。栃木県出身。
来歴
[編集]1951年、栃木県出身。大学で牛について学び、卒業後はアルゼンチンに渡り厩務員を経験する[1]。その後美浦トレーニングセンターの笹倉武久厩舎などでの調教助手を経て、47歳となる1998年に調教師試験に合格[1]、翌1999年3月に厩舎を開業した[2]。同年5月8日、東京競馬場第2競走をレッツストーンで制し、初勝利を挙げた[2]。
2010年、中山大障害をバシケーンで制し、重賞初制覇をGI級競走で成し遂げた。翌年1月には、「重賞を勝ったら[注釈 1]伸ばしていた長髪を切る」という公約に則り、後藤浩輝や蓑島靖典らが参加しての断髪式を厩舎で行った[3]。2012年にはコスモオオゾラで弥生賞を制し、JRA平地重賞初制覇[4]。
2020年7月20日、JRAに勇退届を提出[2]。8月20日付で調教師を引退した。なお、これにより繰り上がりで伊坂重信厩舎が翌日付で新規開業した[2]。
人物
[編集]調教師成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1999年3月6日 | 2回中山3日9R | 桃花賞 | テンシノウタ | 16頭 | 8 | 2着 |
初勝利 | 1999年5月8日 | 2回東京5日2R | 4歳未勝利 | レッツストーン | 12頭 | 3 | 1着 |
重賞初出走 | 1999年3月20日 | 2回中山7日11R | フラワーC | テンシノウタ | 16頭 | 8 | 3着 |
重賞初勝利 | 2010年10月25日 | 5回中山7日10R | 中山大障害 | バシケーン | 12頭 | 10 | 1着 |
GI初出走 | 2004年4月11日 | 2回阪神6日11R | 桜花賞 | レディインブラック | 18頭 | 8 | 10着 |
GI初勝利 | 2010年10月25日 | 5回中山7日10R | 中山大障害 | バシケーン | 12頭 | 10 | 1着 |
主な管理馬
[編集]- マイターン(西塚安夫厩舎より移籍)
- プリンセスメモリー(2009年ダリア賞、2010年クイーンカップ2着、2013年オーロカップ、2014年ラピスラズリステークス)
- バシケーン(2010年中山大障害)
- タカラボス(2011年中山グランドジャンプ3着)
- コスモオオゾラ(2012年弥生賞)
- マイネオーラム(2014年フローラステークス3着)
- ゲッカコウ(2016年フラワーカップ2着)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “高橋博師が今週の競馬を最後に勇退 次なるチャレンジに意欲も”. デイリースポーツ (2020年8月13日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ a b c d “JRAの高橋義博調教師が勇退 来月20日で”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2020年7月20日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ “有言実行!高橋義博師、髪を切る”. 競馬ラボ. 株式会社Doinnovation (2011年1月6日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ “【弥生賞】伏兵コスモオオゾラ重賞初制覇”. ウマニティ. 産経新聞社 (2012年3月4日). 2024年7月8日閲覧。