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高橋直治 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋直治

高橋 直治(たかはし なおじ、1856年3月4日安政3年1月28日[1]) - 1926年大正15年)2月18日[2])は、明治から大正期の実業家政治家衆議院議員貴族院多額納税者議員

経歴

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越後国刈羽郡石地村(現・柏崎市)で高橋喜惣八の長男として生まれる[3]1875年(明治8年)小樽に渡り荒物商の店員となる[4]1878年(明治11年)に独立し合羽荒物雑貨商を開業し、さらに米穀海産委託問屋、味噌醤油製造、石炭販売、精米所、回漕業を営んだ[4]1896年(明治29年)弟・喜蔵と共に高橋合名会社を組織し代表社員に就任[4][5]。事業を米雑穀業に転換した[4]第一次世界大戦により日本からヨーロッパへ菜豆類の輸出が急増した際に、大量の大豆を貯蔵し直輸出を行い、日本やロンドン市場を左右するほどの影響を与えたことから「小豆将軍」と称された[5]

また、小樽町総代、小樽区会議員、北海道庁港湾調査会員、小樽商業会議所副会頭、同会頭、小樽共商会社取締役、小樽米穀株式外五品取引所理事長、小樽米穀取引所理事長、小樽委託業組合長、小樽海陸物産商組合長などを歴任[2][6]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(北海道庁小樽区)で当選し、北海道初の衆議院議員の一人となる[2][5]。その後、1910年(明治43年)1月の第10回総選挙補欠選挙 [7]1912年(明治45年)5月の第11回総選挙で再選され[2]、衆議院議員を通算3期務めた[2]。さらに、1925年(大正14年)北海道多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に就任したが[8]、1926年2月、在任中に死去した[6][8]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、44頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』381頁。
  3. ^ 『人事興信録 第7版』た94頁。
  4. ^ a b c d 『北海道人名辞書 第二版』205-206頁。
  5. ^ a b c 『北海道歴史人物事典』210頁。
  6. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』208頁。
  7. ^ 『官報』第7961号、明治43年1月10日。
  8. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。

参考文献

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  • 金子信尚編『北海道人名辞書 第二版』北海民論社、1923年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。