高橋嘉太郎
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高橋 嘉太郎(たかはし かたろう、嘉永5年2月7日[1](1852年2月26日) - 昭和3年(1928年)12月18日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。
経歴
[編集]陸奥国和賀郡二子村(現在の岩手県北上市)出身[3]。高橋嘉兵衛、ツギ夫妻の長男として生まれる[4]。1873年(明治6年)に二子村戸長となり、岩手県御用掛、岩手県会議員、同常置委員を歴任した[5]。1897年(明治30年)、県会議員を辞し、岩手毎日新聞社の経営にあたった[5]。その他、和賀郡農会会長、岩手県農会副議長を務めた[5]。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第13回衆議院議員総選挙でも再選された。
1928年(昭和3年)12月18日、岩手毎日新聞社社長在任のまま病没[4]。
脚注
[編集]- ^ 人事興信録 1915.
- ^ 議会制度七十年史 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ 第二十八議会衆議院議員写真列伝 1912, p. 106.
- ^ a b “第101回:高橋嘉太郎(たかはしかたろう)”. 盛岡の先人たち. 盛岡市 (2008年12月10日). 2019年8月4日閲覧。
- ^ a b c 第二十八議会衆議院議員写真列伝 1912, p. 122.
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。