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高柳豊三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高柳 豊三郎(たかやなぎ とよさぶろう、文久2年(1862年) - 明治45年(1912年2月22日)は、日本の実業家読売新聞社社長などを務めた。

人物

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肥前国佐賀生まれ[1]佐賀藩士で、1885年に商法講習所(現一橋大学)を卒業し[1][2]三井物産入社[1]。同期に藤瀬政次郎がいた[2]

1890年三井物産を退社[2]。1892年兵庫県立神戸商業学校校長[3]。同年愛知県名古屋商業学校校長。1897年依願退官[4]

日本郵船入社後[5]春日丸事務長などを経て[6]、1909年日就社社長[1]。1910年読売新聞社社長[7]。1912年死去。社葬が行われた[8]

親族

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読売新聞社創業者の本野盛亨の甥にあたる[9]

脚注

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  1. ^ a b c d 高柳 豊三郎(読み)タカヤナギ トヨサブロウ20世紀日本人名事典
  2. ^ a b c 一橋大学百二十年史 : captain of industryをこえて
  3. ^ 六十年史兵庫県立第一神戸商業学校出版年月日昭13
  4. ^ 日本商業学校一斑 〔本編〕
  5. ^ 高柳豊三郎(読み)たかやなぎ とよさぶろうデジタル版 日本人名大辞典+Plus
  6. ^ 海商通報 (1240) 雑誌 (海商社, 1906-11)
  7. ^ (株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)
  8. ^ (株)読売新聞社『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11)
  9. ^ 本野 盛亨さがの歴史・文化お宝帳
先代
菅川清
兵庫県立神戸商業学校校長
1892年
次代
丸岡久之助
先代
松本庄八
愛知県名古屋商業学校校長
1892年 - 1897年
次代
市邨芳樹
先代
本野盛亨
読売新聞社社長
1910年 - 1912年
次代
本野英吉郎