高思宗
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高 思宗(こう しそう、生没年不詳)は、東魏から北斉にかけての人物。本貫は渤海郡蓨県。高歓の祖父の弟の高稚の曾孫にあたる。
経歴
[編集]高雍(高陀の子)の子として生まれた。武定末年、中軍将軍・儀同三司の位を受け、兗州刺史に任じられた。上洛郡開国男に封じられた[1]。北斉の天保元年(550年)6月、上洛郡王に封じられた[2][3][4]。清都尹をつとめた[5][6]。武平元年(570年)10月、司空に上った[7][8][9]。太傅となり、在官のまま死去した[10][11]。
子に高元海[12][11]・高孝緒[10][13]があった。
脚注
[編集]伝記資料
[編集]参考文献
[編集]- 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
- 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
- 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。
- 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。