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高句麗古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界遺産 高句麗古墳群
朝鮮民主主義人民共和国
墓
英名 Complex of Koguryo Tombs
仏名 Ensemble des tombes de Koguryo
登録区分 文化遺産
登録基準 (1), (2), (3), (4)
登録年 2004年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
高句麗古墳群の位置
使用方法表示
高句麗古墳群
各種表記
チョソングル 고구려 고분군
漢字 高句麗古墳群
発音 コグリョ コブングン
日本語読み: こうくりこふんぐん
2000年式
MR式
Goguryeo gobungun
Kokuryŏ kopunkun
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高句麗古墳群(こうくりこふんぐん)は朝鮮民主主義人民共和国平壌市南浦特別市平安南道黄海南道に所在する高句麗後期の古墳群の登録名。2004年7月、ユネスコ世界遺産委員会蘇州会議で中華人民共和国吉林省集安市に所在する高句麗前期の遺跡とともに世界遺産登録された。朝鮮民主主義人民共和国としては最初の世界遺産登録である[1]

概要

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今回の登録では高句麗の王、王族、貴族の墳墓63基が指定された。その多くは当時の高句麗の文化や風俗を生き生きと伝える壁画古墳である。朝鮮の主な高句麗壁画古墳には安岳3号墳、徳興里古墳、修山里古墳、江西大墓などがあるが、これらの古墳壁画のなかには明日香村高松塚古墳壁画との関連を指摘されるものもある。 また、手搏図は安岳3号墳に描かれた壁画である。

遺産

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登録までの経緯

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当初、2003年には登録される見込みであったが、当時の駐日中国大使武大偉から登録の引き延ばしと同時登録を要請された画家の平山郁夫が中朝両国の仲介を行った[2]。その経緯で、両遺跡は2004年の同時登録という形になった。北朝鮮と中国の間に、高句麗地区の領土問題が存在することが改めて認知された。

登録基準

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この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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