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骨皮道賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

骨皮 道賢(ほねかわ どうけん、生年不詳 - 応仁2年3月21日1468年4月13日))は、室町時代傭兵足軽大将

生涯

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元は目付の頭目で、侍所所司代の多賀高忠に仕え、盗賊の追捕を行っていた。

応仁元年(1467年)の応仁の乱足軽大将として活躍、細川勝元に金品によって勧誘され、東軍に属して戦った。伏見の稲荷山京都市伏見区)の稲荷社に拠点を置き、300人程の配下を指揮して放火や後方攪乱を担当した。翌応仁2年(1468年)、山名宗全斯波義廉朝倉孝景畠山義就大内政弘らの大軍により布陣していた稲荷社を包囲されると、女装して包囲網を脱出しようとしたが露顕し、朝倉孝景の兵に討ち取られ、首は東寺の門前に晒された。

道賢の記録が載る禅僧の日記での名前の初見は、3月15日4月7日)条からであり、21日13日)までの6日間の活躍しか記述されていない[1]。その最期を「昨日まで稲荷廻し道賢を今日骨皮と成すぞかはゆき」と歌で皮肉られた[2]

なお、苗字の骨皮から皮革業を営んでいたという説もあるが[3]、「骨と皮ばかりの痩せた者」という外観からきているかもしれず、どちらともいえないとされている[2]

関連作品

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小説
テレビドラマ

脚注

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  1. ^ 今谷 2000, pp. 52–53.
  2. ^ a b 今谷明『戦国の世』 2000年 p.53
  3. ^ 今谷明『戦国の世』 2000年 p.52

参考文献

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  • 今谷明『戦国の世』〈岩波ジュニア新書 日本の歴史 5〉2000年。ISBN 4-00-500335-4 
  • 石田晴男『応仁・文明の乱』吉川弘文館〈戦争の日本史 9〉、2008年。