出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
騎都尉(きとい)は、中国の前漢以降にあった官職である。
前漢においては、光禄勲(郎中令)に属し、秩禄は比二千石であった[1]。宣帝の時から、羽林を中郎将と騎都尉に監督させるようにした[1]。西域都護を兼任することがあった[2]。
後漢でも光禄勲に属し、秩禄は比二千石であった。
それ以降も存続したが、晋においては奉車都尉、駙馬都尉と並んで三都尉と呼ばれて宗室や外戚に与えられ、朝廷の集まりに参加するだけの官となっていた。
唐では勲官の一つとなり、実態は無くなっていた。
- ^ a b 『漢書』巻19上、百官公卿表第7下。『『漢書』百官公卿表訳注』50頁。
- ^ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7下。『『漢書』百官公卿表訳注』140頁、145頁注14。
- 『漢書』巻19上百官公卿表上
- 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。
- 『続漢書』(『後漢書』合刻)百官志二
- 『晋書』巻24職官志
- 『旧唐書』巻42職官志一