駅路寺
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駅路寺(えきろじ)は、慶長3年(1598年)に定められた徳島藩の制度。蜂須賀家政は藩内主街道(阿波五街道)に沿った真言宗八ヶ寺に寺領10石を与え、往還する旅人に便宜を図るよう命じた。八ヶ寺は全て山号を駅路山とされ、総称して駅路寺という[1]。これらの寺院は旅人の宿泊のほかに、治安維持、災害時の避難場所などにも利用する事を想定したものとされる。[2]
寺院一覧
[編集]街道 | 山号 | 寺院名 | 所在地 | 備考 |
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淡路街道 | 豊山 | 長谷寺 | 鳴門市撫養町木津 | 新四国曼荼羅霊場第二番札所 |
川北街道 | 駅路山 | 瑞運寺 | 板野郡上板町引野 | 後に四国八十八箇所第六番札所の安楽寺に併合 |
伊予街道 | 寶生山 | 福生寺 | 吉野川市山川町川田 | |
伊予街道 | 中本寺駅路山 | 長善寺 | 三好市東みよし町中庄 | 阿波西国三十三観音霊場(西部)11番札所 |
伊予街道 | 宝珠山 | 青色寺 | 三好市池田町佐野 | 指定時は駅路山往還寺。 阿波西国三十三観音霊場(西部)20番札所 |
土佐街道 | 駅路山 | 梅谷寺 | 阿南市桑野町鳥居前 | |
土佐街道 | 駅路山 | 打越寺 | 海部郡美波町山河内 | |
土佐街道 | 駅路山 | 円頓寺 | 海陽町宍喰浦 | 昭和21年の南海地震により被災し廃寺 |
脚注
[編集]- ^ 衣川仁 2009, p. 95.
- ^ “有形文化財古文書 紙本墨書 駅路寺文書”. 鳴門市. 2023年9月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 三好昭一郎「徳島藩駅路寺制の展開 : 領主による寺院利用の一事例」『地方史研究』第253巻、地方史研究協議会、1995年2月、1-18頁、ISSN 05777542。
- 衣川仁「徳島藩駅路寺制に関する一考察」(PDF)『徳島大学総合科学部人間社会文化研究』第16巻、徳島大学総合科学部人間社会文化研究編集委員会、2009年、95-109頁、ISSN 09199411。