魚梁瀬森林鉄道
魚梁瀬森林鉄道(やなせしんりんてつどう)は、かつて高知県にあった森林鉄道である。魚梁瀬杉を運搬することを主目的として開業したが、陸上交通網が整備されつつあったことに加えて、魚梁瀬ダムの完成により軌道が水没したことから廃止となった。
一部路線では一般客も乗車可能だった[1][2]。廃止後は高知東部交通がバスを運行している。
概要
[編集]魚梁瀬地区は、平家の門脇中納言平教経の入洛により集落が始まったとされる。竹や木を並べて水を堰き止めて魚を捕まえる仕掛けを「梁(やな)」と呼ぶが、教経はそうして川魚を捕り暮らしていたことから後にこの地区が「やなせ」と名付けられたようである。藩政時代になってこの山々の森林資源が着目され、下流地域から人々が上がって来るようになり、奈半利川の水流を利用し、魚梁瀬材は河口へと集められていった。
林道開設も早く、1895年(明治28年)、魚梁瀬和田山から宝蔵山にいたる12.4kmの牛馬道を開設。その後和田山 - 魚梁瀬、谷山口 - 東川、魚梁瀬 - 栃谷と延長された。安田川方面も1900年(明治33年)、日浦 - 東川(ひがしごう)、明神口 - 日浦と林道が開設されたが、これは運材よりも物資輸送が主な目的であり、運材は河川を利用していた。しかし、山腹に設けられた牛馬道や車道、さらに流木では間に合わなくなり、1907年(明治40年)に安田川山線に最初の軌道が開設され、その後1910年(明治43年)から田野 - 馬路間23.4kmの鉄道を建設、1911年(明治44年)に完成した。当初は自然の重力を利用した乗り下げで運材が行われており、山へ帰る時は犬または牛にトロリーを牽かせていた。
1915年(大正4年)には久木隧道(333m)が貫通し、魚梁瀬まで開通。さらに1919年(大正8年)には石仙(こくせん)まで開通し、田野 - 石仙間41.6kmが完成した。しかし釈迦ヶ生(しゃかがうえ) - 久木(くぎ)隧道間には地形上、逆勾配が存在し、また奈半利川流域の運材には適さないため、奈半利(なはり)川線の計画が立てられた。これは1928年(昭和3年)から調査が始まり、1929年(昭和4年)11月24日起工、1942年(昭和17年)3月には支線を含めた奈半利川線(奈半利 - 釈迦ヶ生間41.9km)が完成した。ここに総延長250kmに及ぶ国内屈指、そして高知県内最大の森林鉄道網が完成したのである。なお、魚梁瀬森林鉄道とは安田川線、奈半利川線の両幹線に加え、各支線を含めた総称である。
安田川線は1910年(明治43年)に着工し、1919年(大正8年)に田野貯木場 - 石仙間41.6kmが完成。軌間762mm、9 - 10kg/mレールを使用し、最急勾配は逆31.3パーミル、順13.3パーミル、最小曲線半径21.8mであった。一方、奈半利川線は1929年(昭和4年)着工、1942年(昭和17年)に奈半利貯木場 - 釈迦ヶ生間41.9kmが完成した。10kg/mレールを使用し、最急勾配は順16.5パーミル、最小曲線半径30mであった。
路線
[編集]- 路線名
- 安田川線(幹線)
- 安田川線 田野貯木場 - 釈迦ヶ生 33.1km
- 安田川線(支線)
- 奈半利川線 奈半利貯木場 - 石仙 49.8km
- 田野線
- 海岸線
- 須川線
- 西谷線
- 蛇谷線
- グドウジ線 1.619m
- 矢筈谷線
- 竹屋敷線
- 大谷線
- 栃谷線
- 朝日出線
- 安田川山線
- 須垣谷線
- 槙谷線
- 河平線
- 宿ノ谷分線
- 七々川線
- 東川線
- 東川線亀谷支線
- 東川線高面支線
- 谷山線
- 中川線
- 宝蔵線
- 宝蔵線赤度支線
- 軌間:762mm
- 複線区間:駅、一部の区間に有。また、奈半利川線廃止後、安田川線に新たに複線を敷設。
歴史
[編集]- 1895年(明治28年):魚梁瀬和田山 - 宝蔵山にいたる12.4kmの牛馬道を開設。
- 1907年(明治40年):安田川林道に手押し軌道が運行を開始。
- 1910年(明治43年)1月27日:野川林道開設(林用軌道)。田野 - 馬路間工事着工。
- 1911年(明治44年):田野 - 馬路間の軌道が敷設される。
- 1912年(大正元年):馬路 - 魚梁瀬間工事着工。
- 1913年(大正2年):谷山線敷設。
- 1915年(大正4年):久木隧道が完成し馬路 - 魚梁瀬間が開通。田野 - 二股間工事着工。
- 1916年(大正5年):魚梁瀬 - 石仙間の工事着工。
- 1917年(大正6年):魚梁瀬 - 石仙間完成。宝蔵線(西川線)敷設。
- 1918年(大正7年):中川線敷設。
- 1929年(昭和4年):七々川線・南栃谷線敷設。
- 1930年(昭和5年):東川線敷設。
- 1931年(昭和6年):奈半利貯木場完成。田野貯木場 - 二股間完成。奈半利貯木場 - 立岡間完成(奈半利川鉄橋を除く)。竹屋敷線、蛇谷線、グドウジ線を敷設。
- 1933年(昭和8年):奈半利川鉄橋完成により奈半利貯木場 - 立岡間開通。
- 1934年(昭和9年):矢筈谷線敷設。
- 1935年(昭和10年):二股 - 栃谷口間の橋梁以外の路体工事が起工。
- 1938年(昭和13年):二股 - 栃谷口間の路体が完成。
- 1939年(昭和14年)-1940年(昭和15年):二股橋・堀ヶ生橋の工事着工。脱線により列車が谷底に転落する事故が発生、死者14名。
- 1941年(昭和16年)
- 8月:大谷支線工事着工。
- 9月:栃谷口 - 釈迦ヶ生間の工事着工。
- 1942年(昭和17年)
- 3月:大谷支線敷設。
- 10月:栃谷口 - 釈迦ヶ生間完成。これにより全線開通。
- 11月:開通式が挙行される。
- 1943年(昭和18年):西谷線敷設。
- 1958年(昭和33年)
- 8月20日:北川村長山において、軌道の撤去式典が行われ、長山 - 二股間撤去開始。
- 11月:6m道路が完成。また竹屋敷線の軌道撤去・車道化も行われる。
- 1960年(昭和35年)
- 5月:二股 - 釈迦ヶ生間の2車線道路化が完成。
- 6月:奈半利川線はトラック輸送に切り替わる。安田川線撤去開始。
- 1961年(昭和36年)3月:釈迦ヶ生 - 久木隧道間が軌道撤去・車道化完成。
- 1962年(昭和37年)
- 2月:久木隧道 - 東川間が軌道撤去・車道化完成。この頃までに、安田 - 明神口間、馬路橋 - 東川間については、軌道の対岸の県道拡幅工事がすでに完成していた。そして、明神口 - 馬路橋間の軌道撤去・車道化が完成し、安田川線も全線トラック輸送に切り替わる。
- 6月:釈迦ヶ生以奥は、代替道路を上部に新設し、釈迦ヶ生 - 丸山台地間完成
- 1963年(昭和38年)2月:丸山台地 - 石仙間の代替道路が完成し、ここに森林鉄道が終焉した。
- 1964年(昭和39年):一部で利用されている線があったが3月30日全線廃止となる。
- 1970年(昭和45年)6月:魚梁瀬ダム完成。
車両
[編集]重要文化財指定
[編集]2009年(平成21年)6月30日に、林業技術史上重要な遺産であるトンネルや橋などの施設が「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重要文化財に指定された。森林鉄道の重文指定は初めてである。
- 旧魚梁瀬森林鉄道施設 9基5所
- エヤ隧道
- バンダ島隧道
- オオムカエ隧道
- 明神口橋
- 釜ヶ谷桟道(かまがたにさんどう)
- 釜ヶ谷橋
- 平瀬隧道
- 河口隧道(こうぐちずいどう)
- 落合橋
- 犬吠橋(いぬぼうばし)
- 井ノ谷橋
- 小島橋
- 二股橋
- 堀ヶ生橋(ほりがをばし)
廃線後の状況・取り組み
[編集]北川村内では、廃線後に線路撤去、路盤舗装の上で道路(高知県道11号奈半利東洋線(現在は国道493号))に転用された。
馬路温泉馬路森林鉄道
[編集]馬路集落には現在「馬路温泉馬路森林鉄道」というポーター社製SLをモデルとした遊覧鉄道が走っている。
魚梁瀬丸山公園の保存鉄道
[編集]廃線後、野村組工作所(高知市)製のDLのみが保存されていた。その後、1991年(平成3年)に丸山台地にある魚梁瀬丸山公園へ移設・動態保存された[3]。重量があり、線路に与える影響が大きいため、運転される機会は限定されている。通常は谷村鉄工所タイプのDLを垣内鉄工所で復元したものが運転されている。
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム
- 『国有林 下巻』 (国立国会図書館デジタルコレクション)釈迦生土場
- 『高知大林区署写真帖』(国立国会図書館デジタルコレクション)犬による牽引
- 編集長敬白アーカイブ:魚梁瀬森林鉄道跡をゆく。(上)。 - 鉄道ホビダス(インターネットアーカイブ)
- 編集長敬白アーカイブ:魚梁瀬森林鉄道跡をゆく。(中)。 - 鉄道ホビダス(インターネットアーカイブ)
- 編集長敬白アーカイブ:魚梁瀬森林鉄道跡をゆく。(下)。 - 鉄道ホビダス(インターネットアーカイブ)
- 編集長敬白アーカイブ:魚梁瀬森林鉄道の保存機たち。(上)。 - 鉄道ホビダス(インターネットアーカイブ)
- 編集長敬白アーカイブ:魚梁瀬森林鉄道の保存機たち。(下)。 - 鉄道ホビダス(インターネットアーカイブ)
- 編集長敬白アーカイブ:魚梁瀬森林鉄道が国の重要文化財に。 - 鉄道ホビダス(インターネットアーカイブ)