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香川富太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
香川 富太郎
歩兵第1連隊附時
生誕 1853年9月25日
(旧暦:嘉永6年8月23日)
日本の旗 日本・安芸国
死没 (1937-12-17) 1937年12月17日(84歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1877年 - 1937年
最終階級 陸軍中将
墓所 多磨霊園
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香川 富太郎(かがわ とみたろう、1853年9月25日嘉永6年8月23日)- 1937年昭和12年)12月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将安芸国(現:広島県)出身。

経歴

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1853年9月25日(嘉永6年8月23日)、安芸国(現・広島県)に生まれる。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)に学ぶ[1]。1877年(明治10年)陸軍少尉として西南戦争に従軍。歩兵第1連隊附として1894年(明治27年)日清戦争、1900年(明治33年)北清事変に出征。陸軍省軍務局歩兵課長を経て、1901年(明治34年)歩兵第48連隊長に就任し、歩兵大佐となった。1904年(明治37年)日露戦争に出征し、遼陽会戦沙河会戦旅順攻囲戦に参戦。1905年(明治38年)陸軍少将に昇格し歩兵第24旅団長となる。その後歩兵第35旅団長、歩兵第11旅団長を歴任し、1911年(明治44年)9月6日、陸軍中将に昇進と同時に予備役に編入された[2][3]。1920年(大正9年)修道中学校(現:修道中学校・高等学校)理事長に就任[4]。1937年(昭和12年)12月17日逝去[5]。正5位 勲2等 功3級。

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 小鷹狩丙吉「小鷹狩元凱翁」(昭和13年)54頁
  2. ^ 多磨霊園著名人リスト
  3. ^ 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年、40頁。
  4. ^ 修道学園中高同窓会会員名簿第36号7頁
  5. ^ 香川富太郎とは - コトバンク
  6. ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。
  7. ^ 『官報』第8486号「叙任及辞令」1911年10月2日。
  8. ^ 『官報』第5874号・付録「辞令」1903年2月4日。

関連項目

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