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香住佐代子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かすみ さよこ
香住 佐代子
本名 丸山 菊代 (まるやま きくよ、出生名)
山本 菊代 (やまもと きくよ、結婚後)
生年月日 (1917-10-28) 1917年10月28日(107歳)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東3-4丁目)
職業 女優
ジャンル 劇映画現代劇時代劇剣戟映画トーキー)、テレビ映画
活動期間 1935年 - 1961年
配偶者 市川朝太郎
著名な家族 加戸敏(義弟)
主な作品
まぼろし城
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香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7]。出生名丸山 菊代(まるやま きくよ)[1][5]、結婚後本名山本 菊代(やまもと きくよ)[8]。1930年代・1940年代の片岡千恵蔵プロダクション日活京都撮影所大映京都撮影所での剣戟映画のヒロイン女優として知られる[1]

人物・来歴

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1917年大正6年)10月28日東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東3-4丁目)に生まれる[1][5]

1935年(昭和10年)3月、旧制・上野高等女学校(現在の上野学園高等学校)を卒業し、京都に移って片岡千恵蔵プロダクションに入社する[1][2]。同年11月29日に公開された『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』(監督振津嵐峡)に出演、主演の片岡千恵蔵の相手役に抜擢されて、満18歳で映画界にデビューした[1][2]。1937年(昭和12年)4月、同プロダクションが解散し、プロダクションごと日活京都撮影所に招かれた際に、千恵蔵らとともに同撮影所に移籍した[1][2]。同プロダクションの最終作品である『松五郎乱れ星』(監督衣笠十四三)にも出演しており、同作は同年7月1日に日活の配給によって公開されている。

同撮影所では、『自来也』(監督マキノ正博、1937年)や『鴛鴦道中』(監督マキノ正博、1938年)といった千恵蔵主演作にひきつづき出演したほか、阪東妻三郎が主演した『恋山彦 風雲の巻』『恋山彦 怒濤の巻』(監督マキノ正博、1937年)や『飛龍の剣』(監督稲垣浩、1937年)、嵐寛寿郎が主演した『髑髏銭 前篇 風の巻』『髑髏銭 後篇 雲の巻』(監督辻吉郎、1938年)や『鞍馬天狗 龍攘虎搏の巻』(監督松田定次、1938年)などに出演、好演を評価された[1][2]。満23歳を迎えた1940年(昭和15年)10月 - 11月に公開された『まぼろし城』三部作(監督組田彰造)で演じた「韋駄天おすみ」役で、人気がヒートアップしたとされる[1][2]

1942年(昭和17年)1月10日、戦時統合により大映が設立され、同撮影所が大映京都撮影所となった際には、同社に継続入社した[1][2]第二次世界大戦終結後も、引き続き同撮影所に所属、満30歳を目前とした1947年(昭和22年)秋、同年3月11日に公開された『闇を走る馬車』で共演した16歳上の剣戟俳優市川朝太郎(本名 山本幸三郎)と結婚、1男をもうけた[1][8]。当時、市川・香住夫妻が所属した大映には、市川の実弟である映画監督・加戸敏(本名 加藤善太郎、1907年 - 1982年)が在籍していた[8]。しかしながら、夫の市川は、結婚の約1年半後の1949年(昭和24年)2月16日、満47歳で死去してしまった[1][8]。『王將』(監督伊藤大輔)への出演以降、しばらくのブランクを経て、図らずも夫が亡くなり、その後の復帰作は、同年4月17日に公開された木村恵吾監督の『花くらべ狸御殿』であった[2][3][4][5][6][7]

翌1950年(昭和25年)には、大映東京撮影所に異動して、そもそもの出身地である東京に戻った[1][2][3][4][5][6][7]。その後は多くの現代劇に助演し、1961年(昭和36年)に大映を退社した[1][2][3][4][5][6][7]。同年、大映テレビ室(現在の大映テレビ)が製作、フジテレビジョンが放映した連続テレビ映画『少年ジエット』(当時の放映題は『新少年ジエット』)に出演、同作への出演を最後に、満44歳で引退した[1][2][3][4][5][6][7]。劇場用映画への最後の出演作は、同年4月26日に公開された井上梅次監督の『五人の突撃隊』で演じた、川口浩演じる橋本上等兵の母親役であった[5][7]

1998年(平成10年)11月に上梓された書籍『美剣士』(ワイズ出版)の企画協力に名を連ね、円尾敏郎によるインタヴューが掲載されて、満81歳当時の健在が確認された[9]。2004年(平成16年)8月に発行された『映画論叢』通巻9号には、円尾によるインタヴュー『香住佐代子、香住佐代子と年中思って暮らしております』が掲載された[10]。2006年(平成18年)6月5日付の円尾のブログに「香住佐代子さんは、足の骨を折ってから連絡がとれなくなった」と記述されて以降の消息が不明である[11]。存命であれば、現在満107歳である。

フィルモグラフィ

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鞍馬天狗 龍攘虎搏の巻』(1938年)出演時、満21歳。左は嵐寛寿郎
まぼろし城 第一部』(1940年)出演時、満22歳。左は原健作

すべてクレジットは「出演」である[2][3]。公開日の右側には役名[2][3]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[7][12]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

片岡千恵蔵プロダクション

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特筆以外すべて製作は「片岡千恵蔵プロダクション」、初期の特筆以外すべて配給は「日活」、特筆以外すべてトーキーである[2][3][6]

日活京都撮影所

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すべて製作は「日活京都撮影所」、すべて配給は「日活」、以降すべてトーキーである[2][3][6]

大映京都撮影所

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特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、戦時中の特筆以外すべて配給は「大映」である[2][3][5]

  • 維新の曲』 : 監督牛原虚彦、応援演出木村恵吾、配給映画配給社、1942年5月14日公開 - 松榮、113分尺で現存(NFC所蔵[14]
  • 大阪町人』 : 監督森一生、製作大映京都第二撮影所、配給映画配給社、1942年6月11日公開 - お辰、69分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 伊賀の水月』(戦後改題『剣雲三十六騎』) : 監督池田富保、配給映画配給社、1942年8月13日公開 - 奥方お貞の方、103分尺で現存(大映所蔵・DVD発売[15]
  • 歌ふ狸御殿』 : 監督木村恵吾、製作大映京都第二撮影所、配給映画配給社、1942年11月5日公開 - 桜姫、31分尺で現存(NFC所蔵[16]
  • 三代の盃』 : 監督森一生、配給映画配給社、1942年12月11日公開
  • お馬は七十七萬石』(『お馬は七十七万石』) : 監督安田公義、1942年2月24日公開 - 百合、67分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 小太刀を使ふ女』(戦後改題『美女剣光録』) : 監督丸根賛太郎、配給映画配給社、1944年8月3日公開 - お八重、53分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 東海水滸伝』(『東海水滸傳』[7]) : 監督伊藤大輔・稲垣浩、製作・配給大映、1945年7月12日公開 - 役名不明、改修版が『東海二十八人衆』題・83分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 殴られたお殿様』 : 監督丸根賛太郎、1946年3月21日公開 - 萩江
  • 槍をどり五十三次[3][5](『槍おどり五十三次』[2]) : 監督森一生、1946年11月26日公開 - お米
  • 恋三味線』 : 監督野淵昶、1946年12月17日公開 - お鯉
  • 闇を走る馬車』 : 監督松田定次、1947年3月11日公開 - おもん
  • 月の出の決闘』(『月の出の決斗』[7]) : 監督丸根賛太郎、1947年7月15日公開 - おしま、77分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 王將』 : 監督伊藤大輔、1948年10月18日公開 - 女中お栄、93分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 花くらべ狸御殿』 : 監督木村恵吾、1949年4月17日公開[4] - 老女姥桜、89分尺で現存(NFC所蔵[17]
  • 母恋星』 : 監督安田公義、1949年6月12日公開 - 雅子
  • 三つの真珠』 : 監督安達伸生、1949年6月20日公開 - 塚越加代子
  • 大江戸七変化』 : 監督木村恵吾、1949年7月10日公開 - お信、39分尺で現存(NFC所蔵[18]
  • わたしの名は情婦』 : 監督森一生、1949年8月22日公開 - 後藤よし枝、88分尺で現存(NFC所蔵[7]

大映東京撮影所

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すべて製作は「大映東京撮影所」、すべて配給は「大映」である[2][3][5]

  • 踊子』 : 監督清水宏、原作永井荷風、1957年2月12日公開 - 付添婦、96分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 忘れじの午後8時13分』 : 監督佐伯幸三、1957年4月3日公開 - キャバレーの女給
  • 永すぎた春』 : 監督田中重雄、原作三島由紀夫、1957年5月28日公開 - 今井夫人、現存(大映所蔵・DVD発売[5]
  • 花嫁立候補』 : 監督原田治夫、1957年11月22日公開 - 母とき代

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 香住佐代子jlogos.com, エア、2013年2月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 香住佐代子日本映画データベース、2013年2月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 香住佐代子、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 香住佐代子、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月22日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 香住佐代子KINENOTE, 2013年2月22日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 香住佐代子日活データベース、2013年2月22日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 香住佐代子東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月22日閲覧。
  8. ^ a b c d キネマ旬報社[1979], p.48.
  9. ^ 円尾・高橋[1998], p.1.
  10. ^ 映画論叢[2004], p.92-127.
  11. ^ 2006年6月5日(月) 円尾敏郎 覚え書き円尾敏郎、2013年2月23日閲覧。
  12. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年2月22日閲覧。
  13. ^ a b 忠臣蔵 天の巻、日活データベース、2013年2月22日閲覧。
  14. ^ 維新の曲、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月22日閲覧。
  15. ^ 伊賀の水月角川書店、2013年2月22日閲覧。
  16. ^ 歌ふ狸御殿、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月22日閲覧。
  17. ^ 花くらべ狸御殿、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月22日閲覧。
  18. ^ 大江戸七変化、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月22日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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