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館林町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たてばやしまち
館林町
館林町章
館林町章
1929年昭和4年)制定
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 新設合併
館林町郷谷村大島村赤羽村六郷村三野谷村多々良村渡瀬村館林市
現在の自治体 館林市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
邑楽郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 2.71 km2.
総人口 23,178
(1952年3月31日)
隣接自治体 邑楽郡六郷村郷谷村多々良村
館林町役場
所在地

群馬県邑楽郡館林町大字館林2294番地[1]

(現・館林市仲町14-1)
特記事項 人口密度:8,552人/km2
世帯数:4,993世帯(1952年3月31日)
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館林町[2](たてばやしまち)は、群馬県の南東部、邑楽郡に属していたである。現在の館林市の館林地区に相当する。古くは立野ヶ原と称し、立林と呼ばれていたところから転じて「館林」となった。秋元氏6万石の旧城下である[2]

地理

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歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により館林町と谷越村、当郷村、成島村のそれぞれ一部が合併し、館林町が発足(谷越村と成島村の残りの地域は多々良村、当郷村の残りの地域は郷谷村となる)。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 館林町、郷谷村、大島村、赤羽村、六郷村、三野谷村、多々良村、渡瀬村が合併し、館林市となる。発足時の人口は約5万6000人。

行政

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町長

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町長は以下の通りである。

経済

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産業

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企業
農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、館林町の篤農家は宮杉、千金楽、島田、荒井、神田、片桐、増田、濱野、熊谷、橋田姓の人物がいた[4]

人口

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1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数3619、人口17413[2]

施設

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宗教

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官衙

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教育

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高等学校

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中学校

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小学校

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交通

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出身・ゆかりのある人物

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政治・経済

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学術

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文化

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脚注

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  1. ^ 館林町勢要覧 昭和14年版”. 2019年3月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『市町村治績録 改訂第2版』群馬県27 - 28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月9日閲覧。
  3. ^ a b 『職員録 明治28年1月現在 乙』群馬県91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月9日閲覧。
  4. ^ a b 『大日本篤農家名鑑』393頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月10日閲覧。
  5. ^ a b c d 『大日本紳士鑑』群馬県邑楽郡441頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月4日閲覧。

参考文献

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  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 『職員録 明治28年1月現在 乙』印刷局、1895年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。

関連項目

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