飯田清三
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飯田 清三(いいだ せいぞう、1894年8月22日 - 1976年9月24日)は、日本の実業家。野村證券第2代社長。
人物・経歴
[編集]鹿児島県出身。1919年東京帝国大学卒業[1]。野村證券常務取締役を経て、1940年野村證券専務取締役[2]。1941年から野村證券社長を務め[3]、本店の東京移転などを行った[4]。1942年野村信託取締役[5]。1944年野村銀行取締役[6]。1945年野村生命保険監査役[7]。墓所は多磨霊園。
脚注
[編集]- ^ 飯田 清三 イイダ セイゾウ20世紀日本人名事典の解説
- ^ 「野村証券(株)『野村証券株式会社四十年史』(1966.10)」渋沢社史データベース
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 75頁。
- ^ 沿革野村ホールディングス |
- ^ 野村証券(株)『野村証券株式会社五十年史』(1976.09)渋沢社史データベース
- ^ 「(株)大和銀行『大和銀行六十年史』(1979.02)」渋沢社史データベース
- ^ 東京生命保険(相)『東京生命七十年史』(1970.12)渋沢社史データベース
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