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飯森辰次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯森辰次郎
いいもり たつじろう
生年月日 1856年11月12日
出生地 日本の旗 日本 豊前国企救郡小倉城
(現福岡県北九州市小倉北区)
没年月日 (1918-10-12) 1918年10月12日(61歳没)
出身校 育徳館
(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)
所属政党 (無所属→)
(公友倶楽部→)
公正会

選挙区 福岡県小倉市選挙区
当選回数 1回
在任期間 1915年3月 - 1917年1月25日

小倉市会議員
在任期間 1900年 - 1917年
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飯森 辰次郎(いいもり たつじろう、1856年11月12日(安政3年10月15日[1])- 1918年大正7年)10月12日[2][3])は、明治から大正前期の教育者、政治家衆議院議員

経歴

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豊前国企救郡小倉城[4]福岡県[2]企救郡小倉町、小倉市[3]を経て現北九州市小倉北区)で、小倉藩士、槍指南役・飯森辰蔵の第二子として生まれる[4]藩校・育徳館(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)で学び、13歳で長崎遊学に選抜され、重野成斎(重野安繹)に師事した[4]

1880年(明治13年)鹿児島中学校(中学造士館の前身)の教員となり[4]、その後、各地の旧制中学校、商業学校で教員を務め[2][3][4][5]、1890年(明治23年)実業界に転じた[4]

1900年(明治33年)から17年間、小倉市会議員に在任し、この間、学務、水道、防疫、築港などの委員を務めた[4]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙で福岡県小倉市から無所属で出馬して当選し[4][5][6]公友倶楽部公正会に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3][5]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、26頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』51頁。
  3. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』38頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『増補 新豊前人物評伝』267-268頁。
  5. ^ a b c 『現代日本の政治家』公友倶楽部6-7頁。
  6. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』74頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』98頁。

参考文献

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  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 中村十生『増補 新豊前人物評伝』新豊前人物評伝刊行会、1978年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。