飯島重雄
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飯島 重雄(いいじま しげお、1931年12月28日 – 2019年9月13日)は、日本の政治家[1] 。
来歴
[編集]1949年に千葉県立匝瑳中学校(現・匝瑳高等学校)を卒業。日本橋の衣料問屋「丸山商店」で勤めたのち、家業を継ぐ[注釈 1][1][2]。
1971年4月、千葉県議会議員に当選。連続9期務め、議会運営委員会委員長、自民党県連議員会長などを歴任した[3]。
2019年9月13日、クモ膜下出血により死去。87歳[1][3]。
人物
[編集]東総文化会館や千葉県立東部図書館を誘致したほか、ハウス栽培を奨励するなど、地元である旭市[注釈 2]を始めとする東総地域の発展に尽力した[1][5]。
県政では千葉県知事となった川上紀一や沼田武を支援し、水野清系議員のまとめ役を務めた[2]。
成田空港問題では、空港への理解と地域住民の安定を図って奔走[1]。1998年10月28日に中核派によって自宅・事務所・車両を放火され、隣家にも延焼した[6][7]。
「招待するほうも、されるほうも結婚式などの祝いごとと重ならずに済む。会場費も"大安"より安く、いい会場が選べる」とあえて仏滅を選んで県連のパーティーを開催した[2]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f “旭市名誉市民 元千葉県議会議員 飯島重雄氏逝去”. www.city.asahi.lg.jp. 広報あさひ No.344. 旭市 (2019年10月15日). 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e 『ちば人国記Ⅱ』每日新聞社、1988年、189-190頁。ISBN 4-620-30666-5。OCLC 674472468 。
- ^ a b c d “飯島重雄氏が死去 元県議87歳”. www.chibanippo.co.jp. 千葉日報 (2019年9月14日). 2021年7月29日閲覧。
- ^ 飯島 2004, pp. 33–49.
- ^ 飯島 2004, pp. 27-29・50-57.
- ^ 飯島 2004, pp. 9-10・18-23.
- ^ “第6章 公安の維持”. www.npa.go.jp. 平成11年 警察白書. 警察庁. 2021年7月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 飯島茂雄『撃たなかったアメリカ兵』広葉会、1994年。
- 飯島茂雄『マイ・ウェイ』広葉会、2004年。