飯地村
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いいじむら 飯地村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 |
現在の自治体 | 恵那市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 恵那郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 恵那郡武並村、笠置村、中野方村、加茂郡潮南村、土岐郡大湫村、日吉村 |
飯地村役場 | |
所在地 | 岐阜県恵那郡飯地村下洞2-3 |
座標 | 北緯35度29分01秒 東経137度17分32秒 / 北緯35.48372度 東経137.29222度座標: 北緯35度29分01秒 東経137度17分32秒 / 北緯35.48372度 東経137.29222度 |
ウィキプロジェクト |
飯地村(いいじむら)は、かつて岐阜県加茂郡にあった村である。現在の恵那市北西部。木曽川の北岸に位置する。
木曽川沿いは急峻な崖[1]になっており、村の中心部は木曽川から離れた標高約600mの高原(飯地高原)に位置する。
歴史
[編集]- 平安時代は蘇原荘に属していた。
- 鎌倉時代より戦国時代末期まで、苗木遠山氏の領地。
- 江戸時代、この地域は美濃国加茂郡であり、苗木藩領であった。
- 1870年(明治3年)に苗木藩が廃仏毀釈を実行し領内の全ての寺院が廃される。飯地村では、洞泉寺が廃されて仏教が無くなり、住民の殆どは神道となり今日に至る。
- 1870年(明治3年)4月 - 飯地村の西部が分立し、潮見村[2]が分立する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制施行により、飯地村が発足。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 飯地村が加茂郡から恵那郡に移る。
- 1950年(昭和25年)6月1日 - 加茂郡潮南村との間で境界線が変更。潮南村大字潮見字入野が飯地村に編入される。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 恵那郡大井町、長島町、東野村、三郷村、武並村、笠置村、中野方村と合併し恵那市になる。
役場
[編集]- 1954年時点で、新たな役場庁舎が建設中であったが、竣工前に恵那市の発足で飯地村は廃止。庁舎は役場として使用されることなく、恵那市役所飯地事務所として使用されることとなった。2023年時点、建物は存在し、旧恵那市役所飯地事務所庁舎として、国登録有形文化財となっている。
学校
[編集]- 飯地村立飯地小学校 (現・恵那市立飯地小学校)
- 飯地村立飯地中学校 (1997年に笠置中学校、飯地中学校、中野方中学校を統合。現・恵那市立恵那北中学校)
神社・仏閣
[編集]- 太田神社
- 自法寺