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風返稲荷山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
風返稲荷山古墳
所属 風返古墳群
所在地 茨城県かすみがうら市安食1526(字風返)
位置 北緯36度7分21.62秒 東経140度19分46.05秒 / 北緯36.1226722度 東経140.3294583度 / 36.1226722; 140.3294583座標: 北緯36度7分21.62秒 東経140度19分46.05秒 / 北緯36.1226722度 東経140.3294583度 / 36.1226722; 140.3294583
形状 前方後円墳
規模 墳丘長78.1m
高さ10m(後円部)
埋葬施設 後円部:横穴式石室(内部に箱式石棺3基)
くびれ部:箱式石棺
出土品 装飾付大刀・馬具・須恵器ほか副葬品多数
築造時期 6世紀末-7世紀初頭
史跡 なし
有形文化財 出土品(国の重要文化財
地図
風返稲荷山古墳の位置(茨城県内)
風返稲荷山古墳
風返稲荷山古墳
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風返稲荷山古墳(かざかえしいなりやまこふん)は、茨城県かすみがうら市安食にある古墳。形状は前方後円墳。風返古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。出土品は国の重要文化財に指定されている。

概要

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茨城県中部、霞ヶ浦に突き出す通称「出島半島」の北部、霞ヶ浦と菱木川に挟まれた台地上に築造された古墳である[1]。一帯では前方後円墳1基(稲荷山古墳)・帆立貝形古墳1基・円墳25基・方墳1基・不明6基の古墳計34基からなる風返古墳群が分布し、本古墳はその盟主墳になる[2]1964年昭和39年)に発掘調査が、1999年平成11年)に測量調査が実施されている[2]

墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。埋葬施設は後円部における横穴式石室、くびれ部における箱式石棺であり、横穴式石室内には箱式石棺3基が据えられる。両施設の調査では、装飾付大刀(頭椎大刀・円頭大刀)・馬具2組・須恵器など多数の副葬品が検出されている。

築造時期は、古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀初頭頃と推定され[3]、複数回の追葬が認められる。東国では最終段階の前方後円墳である点、豊富な副葬品の出土の点で注目され、当時の首長層を考察するうえで重要視される古墳になる。

出土品は2023年令和5年)に国の重要文化財に指定されている。

遺跡歴

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墳丘

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墳丘の規模は次の通り[2][1]

  • 墳丘長:78.1メートル
  • 後円部
    • 直径:43.1メートル
    • 高さ:10メートル
  • 前方部
    • 長さ:35メートル
    • 幅:57メートル
    • 高さ:8メートル

埋葬施設

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埋葬施設としては、後円部において横穴式石室が、くびれ部において箱式石棺が構築されている。

後円部の横穴式石室は、南東方向に開口する。後室・前室・羨道・前庭部から構成される複室構造の石室であり、全長は9.12メートルを測る。石室の石材は雲母片岩の大石。後室には奥壁に沿って奥箱式石棺、側壁に沿って東箱式石棺・西箱式石棺の3基が据えられる。奥石棺からは金銅製耳環、東石棺からは頭椎大刀・円頭大刀・銀装刀子など、西石棺からは金銅製耳環など、前室からは鉄製武器・銅鋺・馬具・須恵器などが検出されている。石棺の構築順序は奥石棺→東石棺→西石棺と想定される[2][1]

くびれ部の箱式石棺は、墳丘主軸と平行する東西方向に構築され、長辺約1.9メートル・短辺約0.9メートルを測る。石棺の石材は雲母片岩で、天井石・床石は各3枚、側石は各1枚である。石棺内からは円頭大刀・金銅製耳環・ガラス玉が、北西約1メートルの地点からは馬具一式(布で包み木箱内に収納か)が検出されている[2][1]

出土品

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横穴式石室・箱式石棺の発掘調査で検出された副葬品は次の通り[2][1]

横穴式石室出土
  • 奥箱式石棺
    • 金銅製耳環
  • 東箱式石棺
    • 頭椎大刀 1
    • 円頭大刀 2
    • 銀装刀子
  • 西箱式石棺
    • 金銅製耳環 2
    • 金銅製蜜坩玉
    • ガラス玉
  • 前室奥
    • 直刀
    • 鉄鉾
    • 鉄鏃
    • 銅鋺
    • 馬具 - 杏葉、雲珠、辻金具、鞍金具。
    • 刀子
  • 前室南側
    • 弓弭
    • 刀子
    • 刀装身具
    • 直刀
    • 須恵器
くびれ部箱式石棺出土
  • 円頭大刀
  • 金銅製耳環 2
  • ガラス玉 30
  • 刀子
  • 刀装具
  • 馬具 一式 - 轡類、杏葉、辻金具、鏡板、鞍金具。箱式石棺から北西1メートル離れた地点から出土。

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 茨城県風返稲荷山古墳出土品(考古資料) - 2023年(令和5年)6月27日指定[3][5]
    • 銅鋺 1点
    • 金属製品 47点
    • ガラス小玉 1点
    • 須恵器 4点

関連施設

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  • かすみがうら市歴史博物館(かすみがうら市坂) - 風返稲荷山古墳の出土品等を保管。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 風返稲荷山古墳出土遺物(茨城県教育委員会)。
  2. ^ a b c d e f g h 風返稲荷山古墳(続古墳) 2002.
  3. ^ a b 文化審議会の答申(国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等)について(文化庁報道発表、2022年11月18日)。
  4. ^ 平成18年11月16日茨城県報 (PDF) より茨城県教育委員会告示第20号。
  5. ^ 令和5年6月27日文部科学省告示第58号。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 「風返古墳群」『日本歴史地名大系 8 茨城県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490085 
  • 大谷猛「風返し古墳群」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 千葉隆司「稲荷山古墳 > 風返稲荷山古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 軽部慈恩・平沢一久「茨城県出島村風返稲荷塚前方後円墳の発掘調査」『日本考古学協会大会研究発表要旨 昭和39年度』、日本考古学協会、1964年、15-16頁。 
  • 霞ヶ浦町遺跡調査会 編『風返稲荷山古墳』霞ヶ浦町教育委員会、2000年。 

関連項目

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外部リンク

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