頼鷹二郎
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頼 鷹二郎(らい たかじろう、1866年11月22日(慶応2年10月16日)[1] - 1937年[2])は、日本の実業家。竹原製塩社長[1]。竹原銀行頭取[3]。尾道塩回送取締役[1][3]。頼山陽の叔父頼春風の曽孫。族籍は広島県平民[1]。
人物
[編集]安芸国竹原(現・広島県竹原市)出身。頼廉次郎の二男[1]。頼俊直の弟[1]。1881年、先代三郎の養子となり1883年、家督を相続した[3]。諸会社の重役として知られた[3]。
『商工資産信用録 第25回』によると、頼鷹二郎(調査年月・1924年2月)は「正身身代・P、信用程度・B、職業・金穀貸付」である[4]。住所は広島県賀茂郡竹原町[1]。
家族・親族
[編集]- 頼家
- 実父・廉次郎(広島平民)[1]
- 養父・三郎[1]
- 兄・俊直(1863年 - 1926年、広島県多額納税者、製塩業、衆議院議員)[1]
- 養母・キン(1834年 - ?、岡山、鳥越斧左右の二女)[1]
- 妻・正恵[1][2](1872年[1] - 1950年[2]、養父三郎の長女[1])
- 男・惟一(1887年 - ?)[1]
- 男(1889年 - ?)[1]
- 男・武夫[1][5](1894年[6] - ?、1921年に京都帝国大学医科卒業[6]。1931年に学位を受く[5]、医学博士[7]、広島病院部長[7]、住所は広島市上柳町[5][6])
- 五男・惇吾[1][2](1897年[1] - 1971年[2]、工学博士[1])
- 六男・操六(1904年 - ?)[1]
- 七男・芳樹(1910年 - ?)[1]
- 孫[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『人事興信録 第5版』ら1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e 『その前夜』P480-P484 解説: 著者とその周辺
- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』ら1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月29日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第25回』広島県ら之部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月2日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』広島34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月4日閲覧。
- ^ a b c 『広島県紳士録 昭和8年版』45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月29日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第47版』広島18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第25回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 交詢社編『日本紳士録 第47版』交詢社、1944年。
- 頼惇吾 『その前夜』晃文社、1972年。