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韓維基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
韓維基
拼音: Hán Wéijī
出生地 山東省淄川県小田村
死没地 山東省淄川県

在任期間 1674年 - 1681年
皇帝 康熙帝

在任期間 1681年 -
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韓 維基(かん いき)は、中国代の政治家貞子(ていし)。山東省淄川県小田村(現在の淄博市張店区傅家鎮小田村)生まれ。康熙初年、同進士出身になり、その後、山西省聞喜県知県直隷博野県知県を歴任。彼の為政は清廉かつ公正である。

略歴

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韓維基は韓茂材の孫であり、韓光翟の息子である。順治十七年(1660年)、庚子科挙人となり[1]康熙3年(1664年)、甲辰科三甲一百四十六名進士となる[2]。康熙13年(1674年)、山西省聞喜県知県に任ぜられ[3]、康熙20年(1681年)、直隷博野県知県に変わった。

彼は清廉かつ公正な政治をし、窃盗などの不法行為を厳しく取り締まる。周辺地域の盗賊は彼のことを憚るので県内に入ることはない[4]

参考文献

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引用
  1. ^ 《淄川県志・巻五》頁十七:舉人 韓維基,字貞子,同庚子科,見進士,茂材孫。
  2. ^ 《淄川県志・巻五》頁十:進士 韓維基 同甲辰榜,授聞喜知縣,補博野知縣。
  3. ^ 《聞喜県志・卷之三・職官》頁三二:知縣 沈光瑀,浙江鄞縣舉人,康熙九年任,詳宦績。韓維基,山東淄川進士,康熙十三年任。王士美,江西金谿人舉人,康熙十五年任。
  4. ^ 《博野県志・巻三・職官》頁三:知縣 趙君訪,泗州歳貢。韓維基,山東淄川進士,康熙二十年任,清正廉明,嚴處竊盗,賊不入境。以上見舊志。羅士吉,舉人,康熙二十六年任……。
書目
  • 中国国家図書館蔵)張鳴鐸・張廷寀・王佳賓 纂修、『淄川県志』、清乾隆四十一年(1776年)刻本。
  • 李遵唐 纂修、『聞喜縣志』、中国方志叢書、乾隆三十年刊本より影印、成文出版社印行。
  • 中国国家図書館蔵)呉鏊・尹啓銓 纂修、『博野縣志』清乾隆三十二年(1767年)刻本。
  • 『淄博歴史人物』、新世界出版社。

外部リンク

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