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韋 閬(い ろう、生没年不詳)は、後燕から北魏にかけての人物。字は友観。本貫は京兆郡杜陵県。
後燕の吏部郎・大長秋卿の韋逵の子として生まれた。後燕の政治が乱れると、薊城に避難した。北魏の太武帝に召されて咸陽郡太守となり、武都郡太守に転じた。445年(太平真君6年)、杏城鎮将の郝温と蓋呉が関中で反乱を起こし、周辺の郡県が陥落するなか、韋閬は治下の郡域を守りきった。郡にあること16年で死去した。
子の韋範は、鎮西大将軍府司馬を経て、華山郡太守を代行し、文成帝のときに興平男の爵位を受けた。
韋閬の甥の韋崇や族弟の韋珍が知られた。
- 『魏書』巻45 列伝第33
- 『北史』巻26 列伝第14