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鞆鉄道線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鞆鉄道線
水呑-葛城駅間の橋台跡
概要
現況 廃止
起終点 起点:福山駅
終点:鞆駅
駅数 12駅
運営
開業 1913年11月17日 (1913-11-17)
廃止 1954年3月1日 (1954-3-1)
所有者 鞆鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 12.5 km (7.8 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線[注 1](廃止当時)
exSTR
国鉄福塩線 1935-
STR
国鉄:福塩南線 -1935
STR
ABZql
国鉄:山陽本線
exSTR+l
0.0 福山駅
exBHF
0.2 三ノ丸駅
exBHF
0.8
0.0
野上駅
exABZgl exSTR+r
exBHF exBHF
1.3
草戸稲荷駅 (I) -1928
exSTR2 exSTR3
1.8 草戸稲荷駅 (II) 1928-
exSTR+1
旧線 -1928
exhKRZWae exhKRZWae
芦田川
exBHF exSTR
2.7 半坂駅
exABZg+l exSTRr
exBHF
3.4
2.6
妙見駅[注 1]
exBHF
4.7 水呑薬師駅
exBHF
5.5 水呑駅
exBHF
6.7 葛城駅
exBHF
9.0 田尻村駅
exBHF
10.2 金崎駅
exKBHFe
12.5 鞆駅

鞆鉄道線(ともてつどうせん)は、鞆鉄道福山駅 - 鞆駅間で1913年(大正2年)から1954年(昭和29年)まで運行していた鉄道路線

元々軽便鉄道として開通したため、軌間762mmのナローゲージを用いていた。また、同線で使用されていた蒸気機関車煙突ラッキョウの形に似ていたため、「ラッキョ汽車」とも呼ばれていた。

路線データ

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1954年2月時点

運行状況

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1925年3月11日改正時
  • 運行本数:全区間8往復
  • 所要時間:全区間48分
1950年5月12日改正時
  • 運行本数:全区間13往復
  • 所要時間:全区間39-41分

歴史

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1945年戦災概況図。戦中における市内路線状況。

1909年(明治42年)10月に福山町[注 2]より鞆町への交通機関として鞆町、福山町の有志と福山出身の代議士井上角五郎大日本軌道雨宮亘の発起により軌道条例による鞆軌道の出願がされた[1]。1910年(明治43年)には軽便鉄道法が公布されることになったので計画を改め[2]鞆軽便鉄道として免許状が下付された。11月に鞆軽便鉄道株式会社[3]が設立され林半助[4]が社長に就任した。林と役員となった太田操、酒井作治郎は鞆銀行役員[5]であり桑田貞治郎は桑田銀行関係者[6]でありいずれも鞆町の代表的な資産家であった[7]

  • 1910年(明治43年)
    • 9月5日 鞆軽便鉄道発起人井上角五郎他に対し鉄道免許状下付(鞆 - 福山間)[8]
    • 11月18日 鞆軽便鉄道株式会社設立[9]
  • 1913年(大正2年)11月17日 野上 - 鞆間が開業[10]軽便鉄道法に基づく軽便鉄道線であった。
  • 1914年(大正3年)4月12日 福山町 - 野上間が開業[11]
  • 1919年(大正8年)
    • 1月1日 福山町を鞆鉄福山に改称[12]
    • 7月 台風により野上 - 草戸稲荷間が壊滅的な被害を受ける。芦田川橋梁の橋脚流出[13]
  • 1925年(大正14年)7月 置き石により機関車が転覆。機関士が死亡[注 3]
  • 1926年(大正15年)12月19日 軽便鉄道線を地方鉄道法に基づく鉄道路線へ変更し、社名を鞆鉄道とする。
  • 1928年(昭和3年)12月23日 野上 - 妙見間線路新設付け替え(芦田川改修工事に伴い在来線路が新川敷となるため)[15]
  • 1931年(昭和6年)9月10日 福山 - 三ノ丸間が開業。鞆鉄福山を三ノ丸に改称[16]
  • 1954年(昭和29年)3月1日 全線廃止。並行するバスが多く走っていたため、それに代替。

駅一覧

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1954年3月廃止時点のもの

福山 - 三ノ丸 - 野上 - 草戸稲荷 - 半坂 - 妙見 - 水呑薬師 - 水呑 - 葛城 - 田尻村 - 金崎 -

接続路線

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輸送・収支実績

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年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1913 12,211 53 1,631 2,317 ▲ 686 1,913
1914 191,195 3,484 24,968 24,300 668 改算繰入9,470 償却金2,192 16,139 9,470
1915 150,510 4,297 20,918 19,809 1,109 雑損40 18,673 17,570
1916 157,601 5,491 22,744 18,967 3,777 15,977 16,278
1917 228,807 7,714 30,057 29,536 521 14,300 10,795
1918 265,197 7,954 43,926 28,590 15,336 寄付金460 貯蔵物売却差損金
及側線撤去
493
13,374 10,160
1919 287,617 8,184 37,748 35,271 2,477 郵便過怠金1 12,194 15,224
1920 285,198 6,821 56,753 49,403 7,350 雑損金914 15,593 7,812
1921 309,900 10,054 78,555 47,042 31,513
1922 311,502 10,818 88,620 51,232 37,388
1923 277,545 8,845 81,383 63,022 18,361 雑損49 6,665 8,573
1924 284,332 8,095 83,241 47,709 35,532 1,349
1925 255,347 7,435 77,003 39,548 37,455
1926 271,400 8,092 78,795 38,631 40,164 雑損1,240
1927 294,791 8,372 82,289 41,599 40,690
1928 310,218 12,045 76,417 47,629 28,788 692 180
1929 319,635 10,827 80,304 46,898 33,406 自動車3,365 708
1930 306,017 8,062 73,814 47,989 25,825 内務省補助金90,847 雑損償却金90,847
自動車1,765
833
1931 255,516 6,944 58,341 34,354 23,987 自動車222 2,602
1932 182,898 5,139 41,339 27,273 14,066 自動車1,141 6,133
1933 210,012 6,524 49,667 30,388 19,279 自動車1,460 7,422
1934 292,796 6,746 52,136 30,986 21,150 自動車5,006 6,882
1935 468,134 6,349 66,423 41,752 24,671 雑損1,962
自動車11,282
6,227
1936 453,238 7,969 74,862 50,779 24,083 自動車2,419 6,309
1937 501,267 6,726 79,260 55,026 24,234 自動車10,206 5,259
1939 589,189 8,613 110,191 76,929 33,262 自動車477 4,203
1941 856,650 14,768
1943 1,169,498 12,106
1945 1,664,560 8,139
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
年度 営業キロ 総輸送人員(千人) 定期外輸送人員(千人) 定期輸送人員(千人) 貨物輸送量(トン)
1950(昭和25年) 16.6 1,099 480 618 2,026
1951(昭和26年) 12.5 803 347 456 1,913
1952(昭和27年) 12.5 489 158 330 1,346
1953(昭和28年) 12.5 428 115 313 1,453

車両

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開業時用意された車両は蒸気機関車4両(1, 2号:雨宮製作所製、3, 4号:アーノルト・ユンク英語版製)、ボギー客車(定員40人)6両、ボギー有蓋貨車3両、ボギー無蓋貨車6両、四輪有蓋貨車4両(客貨車は雨宮製作所及び大阪加藤工場製[注 4][19]

その後1915年(大正4年)にボギー無蓋貨車3両を自社工場で改造して夏期納涼列車(ボト11-13、定員28人)を製作[20]。1918年(大正7年)に機関車2号を阪神急行電鉄に売却[21]。1921年(大正10年)に蒸気機関車(コッペル製)1両[22]とボギー客車(加藤車輌製作所製)1両を増備した[23]

昭和になると沿線乗合自動車の進出に対抗するため運転回数増加、運転時刻短縮の必要からガソリンカーを導入することになり[24]1927年(昭和2年)日本車輌製造で軌道自動客車(単端式気動車)を2両製作[25][26]したのをはじめとして、1928年(昭和3年)に松井自動車工作所により四輪ボギー車(定員40人)を1両製作[27][28]。1930年(昭和5年)[29][30]、1933年(昭和8年)[31][32]片ボギー車を1両ずつ増備した。

機関車はガソリンカーの増備により余剰となったため1935年(昭和10年)に1号(雨宮製作所製)を岡山県庁へ売却した[33]。1936年(昭和11年)国鉄より軽便用2軸ボギー三等客車5両(福塩南線ケコハ225, 228, 233, 235, 237)の払下げを受けることになりボハ8-12と付番した[34][35][36]。この客車増備により無蓋貨車より改造した客車は元の貨車に戻すことにした[37]

戦後まもなく日本製鉄釜石より機関車2両(156・157)購入[38]と機関車1両を新製(立山重工業製)[39]。1949年に客車1両(ボハ6)を廃車している[40]

廃線間近には内燃動車4両、客車12両、貨車6両で蒸気機関車は使用されなくなり戦後購入した3両が車庫に留置。客車も朝のラッシュ時のみ使用されていた[41]。廃線後、キハ3-5の3両は静岡鉄道駿遠線に売却された[42]

車両数の変遷

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年度 蒸気機関車 内燃動車 客車 貨車
有蓋 無蓋
1913-1915 4 6 7 6
1916 4 6 7 3
1917 4 9 7 3
1918-1920 3 9 7 3
1921-1926 4 10 7 3
1927 4 2 10 7 3
1928 4 3 10 7 3
1929 4 2 11 7 3
1930-1932 4 4 10 7 3
1933 4 5 10 7 3
1934 4 5 10 7 3
1935 4 5 15 7 3
1936 3 5 15 7 3
1937 3 5 12 7 6
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 距離は今尾 (2009)による。鉄道省 (1937)では妙見3.5km。
  2. ^ 1916年(大正5年)7月1日に市制を施行し福山市となる。
  3. ^ 線路工夫の私怨とされている[14]
  4. ^ 別の申請書には雨宮鉄工所製ボギー客車6両のうち3両を島屋商会(大阪)製に変更[17]、有蓋貨車は島屋商会(大阪)製[18]なる記述がある。

出典

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  1. ^ 鞆軽便鉄道敷設免許ノ件:鞆軌道敷設特許願」『鉄道省文書 (1912)』1909年10月25日。
  2. ^ 鞆軽便鉄道敷設免許ノ件:鞆軌道発起人召喚ノ件」『鉄道省文書 (1912)』1910年4月23日。
  3. ^ 役員録, 822-823頁
  4. ^ 人事興信所 編『人事興信録. 3版(明44.4刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 役員録, 803頁
  6. ^ 役員録, 810頁
  7. ^ 青木 (1969), 147頁。
  8. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1910年9月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 会社設立登記届」『鉄道省文書 (1912)』1910年12月2日。
  10. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年11月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1919年1月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 『福山市史』下巻、1978年、760-761頁。
  14. ^ 藤井浩三「旧鞆軽便鉄道の蒸気機関車」『鉄道ピクトリアル』No. 172、電気車研究会、1965年7月、65頁。 
  15. ^ 変更線路使用開始ノ件」「変更線路使用実施届」『鉄道省文書 (1935)』1928年12月13日・23日。
  16. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年9月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 客車変更使用認可申請ノ件」『鉄道省文書 (1916)』1912年10月5日。
  18. ^ 機関車及有蓋貨車使用認可申請ノ件」20, 23頁『鉄道省文書 (1916)』1911年10月9日。
  19. ^ 鞆、野上間運輸営業開始認可申請ノ件」7-8頁『鉄道省文書 (1916)』1913年11月14日。
  20. ^ 代用客車使用ノ件」『鉄道省文書 (1916)』1915年3月13日。
  21. ^ 機関車譲渡ノ件」『鉄道省文書 (1927)』1918年10月11日。
  22. ^ 機関車設計ノ件」「機関車竣功ノ件」『鉄道省文書 (1927)』1921年8月30日・10月24日。
  23. ^ 客車設計ノ件」『鉄道省文書 (1927)』1921年5月13日。
  24. ^ 瓦斯倫動力併用ノ件」(「定款中一部変更届」1頁も参照)『鉄道省文書 (1927)』1927年6月10日。
  25. ^ 瓦斯倫自動客車設計ノ件」『鉄道省文書 (1927)』1927年7月21日。
  26. ^ 車輌竣功ノ件ニ関スル通牒」(5-6頁に竣功図)『鉄道省文書 (1927)』1927年8月1日。
  27. ^ 自動客車設計ノ件」『鉄道省文書 (1935)』1928年5月19日。
  28. ^ 瓦斯倫客車竣功ノ件」『鉄道省文書 (1935)』1928年8月21日。
  29. ^ 車輌設計並特殊設計ノ件(再提出)」『鉄道省文書 (1935)』1930年7月23日。
  30. ^ 瓦斯倫自動客車竣功ノ件(再提出)」『鉄道省文書 (1935)』1930年12月11日。
  31. ^ 瓦斯倫自動客車設計ノ件」『鉄道省文書 (1935)』1931年7月30日。
  32. ^ 車輌竣功ノ件」『鉄道省文書 (1935)』1933年2月28日。
  33. ^ 機関車譲渡ノ件」『鉄道省文書 (1951)』1936年2月12日。
  34. ^ 鉄道書所属車輌譲受使用ノ件」11-14頁『鉄道省文書 (1951)』1936年3月23日。
  35. ^ 鉄道書所属車輌譲受使用開始ノ件」37-38頁『鉄道省文書 (1951)』1936年5月11日。
  36. ^ 客車称号及番号変更ノ件」65-67頁『鉄道省文書 (1951)』1936年9月2日。
  37. ^ 車輌設計変更ノ件」38-41頁『鉄道省文書 (1951)』1936年9月1日。
  38. ^ 蒸気機関車設計について」216-224頁(225頁に竣功図)『鉄道省文書 (1951)』1947年3月8日。
  39. ^ 車輌設計について」231-251頁「車両竣功について」259-262頁『鉄道省文書 (1951)』1947年12月23日・1948年3月25日。
  40. ^ 並等客車廃車について」305-308頁『鉄道省文書 (1951)』1949年9月21日。
  41. ^ 鹿島雅美「鞆鉄道訪問」『鉄道模型趣味』No. 57、機芸出版社、1953年5月、182-185頁。 
  42. ^ 新井清彦『〔新装版〕軽便探訪』機芸出版社、2022年5月20日、54-55, 76頁。ISBN 978-4905659211 

参考文献

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関連書籍

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関連項目

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