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青柳栄司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青柳栄司

青柳 栄司(あおやぎ えいじ、1873年3月12日 - 1944年8月22日)は、日本の電気工学者。送配電に関する研究に従事し、半真空電球やタングステンアーク灯などを発明。窒素バリウムの製法と適用法を確立した。また電気工学講習所などの設立に尽くした。信濃国安曇郡上堀金村(現:長野県安曇野市)生まれ。

経歴

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栄典

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主著

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  • 「エヂソン翁に就いて」1929年[6]
  • 「宗教的信仰と教育」1934年[7]
  • 「汽力発電所」1948年

脚注

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  1. ^ 応用科学研究所五十年史、1972年、p.1。
  2. ^ 歴代会長一般社団法人電気学会
  3. ^ 京都大学百年史編集委員会編『京都大学百年史』資料編3、2001年、135頁。
  4. ^ 『官報』第6148号、「叙任及辞令」1903年12月28日。
  5. ^ 『官報』第4298号「叙任及辞令」1926年12月20日。
  6. ^ 青柳英司「エヂソン翁に就いて」”. Watt & Edison. 2024年8月13日閲覧。
  7. ^ 青柳栄司「宗教的信仰と教育」”. 国立国会図書館. 2024年8月13日閲覧。

参照

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  • 青柳先生還暦祝賀会 編「噪音集」1933年
  • 田島清 編『信州人物誌』1969年

外部リンク

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学職
先代
中原岩三郎
電気学会会長
10代:1923年 - 1924年
次代
渋沢元治