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青柳公也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 青柳 公也 
Kinya AOYAGI
基本情報
名前 青柳 公也
生年月日 (1955-04-04) 1955年4月4日(69歳)
身長 175 cm (5 ft 9 in)
体重 88 kg (194 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
経歴
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青柳 公也(あおやぎ きんや、1955年4月4日 - )は茨城県出身のプロゴルファー

来歴

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取手一高[1]時代は野球部に在籍し、後にプロゴルファーになっている同年の須藤聡明がチームメイトで[2]、2年次の1972年と3年次の1973年には甲子園に出場している[3]

1984年[1]に11回目のプロテストに合格し、1989年アコムダブルスでは、同じ高校出身の須藤に「一緒に出よう」と声をかけられて異色ペアを組み、最終日には大会新の通算33アンダー255で前日8位から首位に立つ[4]ロジャー・マッカイ&ウェイン・スミスのオーストラリアペア[3]とのプレーオフでは須藤・青柳組が2ホール目でパーをセーブしたのに対し、マッカイ組がパーパットを外して決着がつく[4]。プロ初優勝[5]で賞金1100万円を獲得し、試合後には二人で「最高です」を連発した[4]。青柳は大会前には後援競技でも獲得賞金ゼロの全くの無名で、「この優勝を弾みに須藤に追いつきたい」と語っている[4]

2003年のアコムインターナショナル[6]を最後にレギュラーツアーから引退し、2015年には群馬県オープン(シニア)で佐野修一・須藤・野口裕樹夫に次ぐ6位に入った[7]

主な優勝

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  • 1989年 - アコムダブルス

脚注

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  1. ^ a b 青柳 公也 アオヤギ キンヤ KINYA AOYAGI
  2. ^ 日本シニアオープン、1打差で優勝を逃すも 1発シードを決めた「ラッキー」な須藤聡明”. 週刊ゴルフダイジェスト 11/29号. ゴルフダイジェスト社 (2005年11月7日). 2023年12月31日閲覧。
  3. ^ a b 2006年シニアプロフィール
  4. ^ a b c d 毎日新聞縮刷版p217 平成元年11月6日朝刊21面「須藤・青柳組が優勝 アコムダブルス最終日
  5. ^ “Japanese pair wins title”. Fort Worth Star-Telegram (Fort Worth, Texas): p. 18. (6 November 1989). https://www.newspapers.com/image/641535778/ 1 February 2021閲覧。 
  6. ^ 青柳 公也選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  7. ^ 2015群馬県オープンゴルフ選手権 新玉村ゴルフ場 2015年8月9日(日)

外部リンク

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