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青木神叔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青木 神叔(あおき しんしゅく、生没年不詳)は、江戸時代前期の俳人[1]俳諧師[2]

経歴・人物

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元禄年間頃の江戸神道家[3]北村季吟に学んだ[1]。のちに服部嵐雪の門下に移ったとも考えられている[2]江戸の石町(後の日本橋本石町)に居住[4]。その隣家は服部嵐雪宅であった[5]

嵐雪が編纂した俳諧集『或時集』には跋文を寄せる[2]。『或時集』は、松尾芭蕉の説いた「軽み」を杉山杉風ら深川連衆が実践した『別座鋪』に対抗し、『別座鋪』を批判した嵐雪が編集を企図した『露払』の改題と見られる選集で、神叔による跋文も、『別座鋪』の序や巻末に対する皮肉を含んだものと見られている[6]

元禄11年(1698年)に刊行された『歳旦牒』には、神叔らによる三つ物が収録されている[2]

嵐雪が没した宝永4年(1707年)に刊行された嵐雪の高弟高野百里による師の追善集『風の上』には、神叔による「嵐雪伝」が載せられている[5]。嵐雪の出生地には、淡路とする説、江戸の湯島とする説があるが、神叔の「嵐雪伝」は、嵐雪が江戸の湯島の生まれで、湯島天神氏子であった旨を明記し、江戸湯島説の典拠となっている[7]。この「嵐雪伝」については、潁原退蔵による、「かなり詳しく、かつ最も確実性に富む」との評価がある[8]

代表句に《我顔やしぐれてのぼる井戸の中》[4]

天野桃隣が元禄10年(1697年)に出した『陸奥鵆』には、神叔の肖像画が載せられている[2]

参考文献

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脚注

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  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『青木神叔』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 俳文学大辞典(1996)、436頁
  3. ^ 常石(1997)、254 - 255頁
  4. ^ a b 中村光久 輯『俳林小伝』(山田佐助,嘉永6)36丁表
  5. ^ a b 安倍能成ら著『芭蕉俳句研究 続』(岩波書店,大正13)484頁
  6. ^ 宮本三郎「『或時集』は『露払』の改題本か―江戸蕉門における嵐雪らの動向―」連歌俳諧研究1970(39)8-9頁
  7. ^ 安倍能成ら著『芭蕉俳句研究 続』(岩波書店,大正13)480頁
  8. ^ 潁原退蔵『蕉門の人々』(大八洲出版,昭和21)41頁