青木善平
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青木善平(あおき ぜんぺい、天保10年〈1839年〉 - 明治4年1月6日〈1871年2月24日〉)は、江戸時代末期(幕末)の福岡藩士。英学者。教育者[1]。
生涯
[編集]福岡藩士藤井宅之進の子として筑前国博多に生まれ、福岡藩の蘭学者安部龍平の養子となる。幼名は菊次郎[1]。
安政2年(1855年)養父龍平の跡目を継ぎ、龍平を名乗り、福岡藩合薬製作所手伝となる。万延元年(1860年)安部家が断絶し、青木善平と改名[1]。
文久2年(1862年)松下直美らと長崎遊学を果たし[1]、さらに慶応3年(1867年)藩の留学生として、同じ福岡藩の平賀義質、本間岩吉、井上良一、船越慶次、松下直美らとともに、アメリカ船コロラド号で渡米し、ハーバード大学に学んだ[2]。
帰国後、明治2年(1869年)旧姓に復し安部忠吉と改名[1](明治3年(1870年)5月との記載もあり[3])。明治3年(1870年)松下直美の提言により、藩校修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)内に洋学館が開設されると、招かれて教授となり、英語を講義した[3]。