青木久 (郡山市長)
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青木久 あおき ひさし | |
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生年月日 | 1922年8月18日 |
出生地 | 福島県 |
没年月日 | 2011年12月14日(89歳没) |
出身校 | 山形県立山形工業高等学校卒業 |
前職 | 日東紡績社員 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1985年4月27日 - 1993年4月26日 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1959年 - 1983年 |
青木 久(あおき ひさし、1922年(大正11年)8月18日[1] - 2011年(平成23年)12月14日[2])は、日本の政治家。郡山市長(2期)、福島県議会議員(6期)を務めた。
経歴
[編集]福島県出身[1]。山形工業学校卒[1]。日東紡績に入るが[3]、太平洋戦争により、陸軍に入隊。工兵科に所属し、工兵学校に入学、少尉で終戦を迎えた[3]。戦後、日東紡績に復職し、富久山工場(現在の日東紡績富久山事業センター)に勤務する[1]。その一方、同工場の労働組合委員長となり[3]、全国繊維産業労働組合同盟福島県支部長[3]、郡山地労委議長を務めた[1]。
1959年(昭和34年)の福島県議選において安積郡選挙区(1967年(昭和42年)からは郡山市選挙区)から日本社会党公認で立候補し、当選する[4][5]。のち、民主社会党(民社党)に移り、福島県議を6期、22年務める[1][3][6]。この間、民社党福島県連書記長などを務めた[6]。
1985年(昭和60年)郡山市長選挙に立候補して当選し、2期務めた[1]。1993年(平成5年)の市長選で3期目を目指したがテキサスA&Mユニバーシティ郡山校の存続問題などが争点となり、閉校を公約した対立候補の市職員出身の藤森英二に敗れた。
1996年には市内湖南町福良家老の国道294号沿いに同氏の銅像が建設された。
栄誉
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 福島県編『福島県史』第5巻、臨川書店、1984年。
- 郡山市編『郡山市史』第6巻 現代、郡山市、1973年。
- 福島県名士録編纂委員会編『福島県名士録』福島民友新聞社、1986年
- 財界21事業本部編『現代福島人名録』財界21、2002年
公職 | ||
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先代 高橋堯 |
郡山市長 第11代:1985 - 1993 |
次代 藤森英二 |