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青戸辰午

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青戸辰午
あおと たつご
あおと しんご
生年月日 1897年6月30日
出生地 日本の旗 日本 鳥取県日野郡日南町
没年月日 1972年5月
出身校 早稲田大学中退
島根県立松江中学校
(現・島根県立松江北高等学校
前職 弁護士
現職 鳥取県人事委員会委員
米子市選挙管理委員会委員
人権擁護委員
鳥取県地方労働委員会委員
称号 藍綬褒章
配偶者 青戸みどり

当選回数 1回
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青戸 辰午(あおと たつご[注 1]明治30年(1897年6月30日 - 昭和47年(1972年5月)は、日本弁護士政治家。旧名は貞吉[1]

経歴

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鳥取県日野郡日南町出身[1]。甚太郎の長男[2]

米子中学[3]松江中学[1]を経て、大正7年(1918年早大中退[4]。昭和3年(1928年)、朝鮮において弁護士開業[4]。昭和6年(1931年)に鳥取県米子市に移住した後も引き続き開業した[4]

戦前米子市会議員を1期務め、戦後は鳥取県地方労働委員会委員、人権擁護委員米子市選挙管理委員会委員、鳥取県人事委員会委員などに選任され、その功績により昭和37年(1962年)に藍綬褒章を授与された[5]

昭和47年(1972年)5月、74歳で亡くなった[5]

人物像

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趣味は読書[4]宗教禅宗[4]曹洞宗[2]、住所は米子市加茂町[4]

織田収とは終生大の仲良しだった[5]

家族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年には「辰午(しんご)」とある

出典

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  1. ^ a b c 『勝田ヶ丘の人物誌』300頁
  2. ^ a b c 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和12年)鳥取・一頁
  3. ^ 『勝田ヶ丘の人物誌』301頁
  4. ^ a b c d e f 『新日本人物大観』(鳥取県版)1957年 ア…59頁
  5. ^ a b c 『勝田ヶ丘の人物誌』303頁

参考文献

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  • 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 ア…59頁
  • 『勝田ヶ丘の人物誌』(編集・勝田ヶ丘の人物誌編集委員会、発行・鳥取県立米子東高等学校創立百周年記念事業実行委員会 2000年 300-303頁

関連人物

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外部リンク

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