青山正長
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天文18年(1549年) |
死没 | 慶長12年1月11日(1607年2月7日) |
別名 | 善五郎、善左衛門、善兵衛(通称) |
戒名 | 昌鶴 |
墓所 | 神田幡随院 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 青山氏 |
父母 | 青山重成 |
兄弟 | 正長、重次、正成 |
妻 | 大久保忠益娘 |
子 | 重長、後藤光次室、青山重勝室、青山利政室 |
青山 正長(あおやま まさなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家康の家臣。
生涯
[編集]三方ヶ原の戦いや長篠の戦いで武功があった。以後、遠江・駿河・甲斐平定に転戦した。小牧・長久手の戦い・小田原征伐でも武功があり、慶長5年(1600年)嫡男重長と共に第二次上田合戦に従軍した。
慶長6年(1601年)、家康の孫娘珠姫が前田利常に嫁ぐ際、これに代官として附属し、また加増されて2000石を領した。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第730