出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青山 幸右衛門(あおやま こうえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の商人[1]。
肥前国有田出身の人物[1]。明暦から寛文年間の頃、伊万里焼を京都で商う[1]。陶器商の壺屋久兵衛に伝えた赤絵の秘法が野々村仁清に漏洩し、京都赤絵が生まれるきっかけになったが、幸右衛門は秘法漏洩の罪で処刑され、久兵衛は発狂したと伝わる[1]が、異説有り[2]。紀海音の浄瑠璃「椀久末松山」などに代表される椀久物のモデルである椀屋久右衛門は、この久兵衛と同一人物とされる[1]。