露無文治
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露無 文治(つゆむ ぶんじ、慶応2年2月18日(1866年4月3日) - 昭和16年(1941年)2月22日)は日本組合基督教会の牧師である。
1866年(慶応2年)備中国倉敷天城に久次郎、せん子の子として生まれる。1882年(明治15年)岡山市に出て原泉学舎で漢学を学び、オティス・ケーリや金森通倫によりキリスト教に接する。
新聞で新島襄の経歴を読んで渡米することを志すが、天城教会の亀山昇から同志社に行くように勧められ、同志社英学校に入学した。在学中に、京都第二公会(現・日本基督教団同志社教会)でアメリカンボードのJ・D・デイヴィスから洗礼を受ける。
在学中、同志社英学校で開催された第1回夏季学校の記録を編集して、『学生之大会』を刊行する。また、在学中に新島が死去する。新島の死に非常なショックを受け、「八日間の出来事」として書き残している。在学中に、牧野虎次、山室軍平と共に「祈りのバンド」というグループを結成する。
1891年(明治23年)に同志社神学校を卒業して、姫路教会(現・日本基督教団姫路和光教会)に主任伝道師として赴任する。1895年(明治28年)に高松教会に転任し、1896年(明治29年)に今治教会(現・日本基督教団今治教会)の牧師に就任する。
1901年(明治34年)より1903年(明治36年)までアメリカ合衆国のユニオン神学校、1911年(明治44年)より1年間スコットランドエディンバラのニューカレッジに留学する。
1916年(大正5年)日本ホーリネス教会監督の中田重治を今治に招いて講演する。
1927年(昭和2年)に今治教会を退任する。
著書
[編集]- 『基督教之本原真理』(1908年)
- 『基督教修一班』(1914年)
参考文献
[編集]- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年