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雷電神社 (幸手市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雷電神社

拝殿(2012年7月)
所在地 埼玉県幸手市四丁目21番10号
位置 北緯36度4分47.6秒 東経139度43分6.8秒 / 北緯36.079889度 東経139.718556度 / 36.079889; 139.718556 (雷電神社 (幸手市))座標: 北緯36度4分47.6秒 東経139度43分6.8秒 / 北緯36.079889度 東経139.718556度 / 36.079889; 139.718556 (雷電神社 (幸手市))
主祭神 別雷之命
配祀倉稲魂命
菅原道真[1]
社格 村社
別名 田宮の雷電様
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北緯36度4分47.6秒 東経139度43分6.8秒 / 北緯36.079889度 東経139.718556度 / 36.079889; 139.718556

雷電神社(らいでんじんじゃ)は、埼玉県幸手市四丁目21番10号(旧地名:大字幸手田宮)に所在する神社である。

概要

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この雷電神社別雷之命配祀倉稲魂命菅原道真の三柱を祭神とし、古くには田宮の庄幸手領の総鎮守であったが、明治維新後1873年明治6年)4月以後は村社に指定されている。[2]本殿は1844年天保15年)11月に上棟再建が行われており、1856年安政3年)6月2日にも再建が行われている。
雷電神社の由緒としては、「第11代垂仁天皇の10年のある日に天地振動雷鳴し、水田中に身の丈7余りの黄金の御神像がから降り、村民のだれもが驚いた。村民は一社を建立したが、当時周囲には水田が広がるのみで民家はなく、わずかに当神社が建つのみであった。ゆえに「水田の中にある社宮」ということから、世の人々はこの地一帯を「田宮」と呼んだ。」というものである。[3]また、雷神との関わりが深いため、特に農民からの信仰を集めた。他に社殿の裏手に「神社」・「権現」・「疱瘡宮」と彫られた石が建立されており、皮膚病の人々の信仰の姿を知ることができる。[4]
境内社として稲荷社、名称不明の一社、御嶽仮山が祀られている。境内施設として、本殿社殿)、鳥居(「正一位 雷電宮」の神額)、案内板、「村社雷電神社」と彫られた石碑狛犬一対灯籠(複数)、手水舎力石(複数)、境内社(名称不明の境内社に鳥居あり、稲荷社には鳥居なし)がある。 石碑は、「伊勢太々御神楽」、「伊勢参宮記念」、「田宮町 子供神輿新調記念」、「二十三夜塔」(複数)、「奉納」、「猿田彦太神」(複数)、「稲荷大明神」、「御嶽山」(複数)、「三笠山」、「寛心行者」、「両部 江戸水神宮」、「瘤神社」、「疣大権現」がある。
その他、仮山(模擬山)、オリエンテーリングのチェックポイント、田宮自治会館、ツバキマキの木、の木、イチョウの木、モミジの木、サツキヤツデ棕櫚などである。[5][6]

アクセス

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脚注

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  1. ^ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(190ページ)』幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 2001年平成13年)3月26日発行
  2. ^ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(190ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行
  3. ^ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(190ページ・249ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行
  4. ^ 『現地所在の案内板』 幸手市教育委員会 設置
  5. ^ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(171ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行
  6. ^ 『幸手市史 特別版 幸手歴史物語 川と道(57ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十四年一月三十日 発行
  7. ^ 幸手駅-雷電神社周辺 - Yahoo!ロコ ホームページ

関連項目・周辺

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外部リンク

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