雲原村
表示
くもはらむら 雲原村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 福知山市、上六人部村、中六人部村、下六人部村、上川口村、金谷村、三岳村、金山村、雲原村 → 福知山市 |
現在の自治体 | 福知山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 天田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
884人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
京都府天田郡三岳村、金山村、与謝郡加悦町 兵庫県出石郡高橋村 |
雲原村役場 | |
所在地 | 京都府天田郡雲原村 |
座標 | 北緯35度25分24秒 東経135度04分33秒 / 北緯35.42333度 東経135.07592度座標: 北緯35度25分24秒 東経135度04分33秒 / 北緯35.42333度 東経135.07592度 |
ウィキプロジェクト |
雲原村(くもはらむら)は、京都府天田郡にあった村。現在の福知山市雲原にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の与謝郡雲原村が単独で自治体を形成。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 所属郡が天田郡に変更。
- 1934年(昭和9年)9月 - 室戸台風による大災害[3]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 福知山市に編入。同日雲原村廃止。
行政
[編集]- 歴代村長
- 西原亀三(1935年1月 - 1951年1月[4]) - 寺内正毅の側近として、西原借款を実現させたことで知られる。室戸台風被害を受けた村民の陳情により村長に就任[5]。砂防工事を内務省の赤木正雄と相談し、大蔵大臣高橋是清に掛け合い京都府直営工事として実施させた[5]。
施設
[編集]- 学校
- 公誠小学校(北緯35度25分23.5秒 東経135度05分00.2秒 / 北緯35.423194度 東経135.083389度)[6]- 児童数は昭和30年代前半までは200人以上だったが、過疎化の進行に伴い、2017年現在は休校中である[7]。
- 郵便局
- 砂防施設
- 雲原砂防関連施設群 - 1934年(昭和9年)から1952年(昭和27年)まで18年間にわたる工事で完成。堰堤工9基、床固工129基、流路工延長15km[3][5]。2006年(平成18年)、砂防施設としては初めて国の登録記念物として登録された[8][9]。
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ 与謝峠 - 国土地理院地図
- ^ 神懸峠 - 国土地理院地図
- ^ a b 国登録記念物第1号「雲原砂防施設群」とは - 京都府中丹広域振興局
- ^ 西原亀三関係文書(MF:個人蔵) - リサーチ・ナビ 国立国会図書館
- ^ a b c 雲原砂防 京都府砂防・治水・防災協会 (PDF)
- ^ 公誠小学校 - 国土地理院地図
- ^ 公誠小学校 (こうせい・休校中) - 福知山市
- ^ 雲原砂防関連施設群 - 文化遺産オンライン
- ^ 雲原砂防 - 京都府中丹広域振興局
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 26 京都府
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 京都府天田郡雲原村 (26B0170002) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ