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難波祐之

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難波 祐之(なんば すけのぶ、1887年明治20年)ごろ - 1941年昭和16年)7月26日)は、日本海軍軍人。駆逐隊・砲艦司令を歴任。重巡衣笠第十六代艦長。海軍大佐[1]戦病死支那事変)、54歳。

略歴

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岡山県出身。静岡中学校を経て[2]1911年(明治44年)7月、海軍兵学校39期)卒業。1912年12月、海軍少尉任官。1914年大正3年)12月、海軍中尉、1918年(大正7年)12月、海軍大尉・初霜乗員。1919年(大正8年)12月、利根分隊長1924年(大正13年)12月、海軍少佐・兵学校教官兼幹事。1926年(大正15年)11月、第10号駆逐艦(1928年8月1日、朝顔と改名)艦長。1928年(昭和3年)12月、太刀風艦長。1930年(昭和5年)11月、磯波艦長。同年12月、海軍中佐。1932年(昭和7年)12月、朝霧艦長、1933年(昭和8年)11月、佐世保鎮守府予備駆逐隊(第22駆逐隊)司令、1934年(昭和9年)11月、第12駆逐隊司令。1936年(昭和11年)12月、海軍大佐。1938年(昭和13年)12月、軽巡洋艦神通艦長、1939年(昭和14年)11月、重巡洋艦衣笠艦長。1940年(昭和15年)9月、第13砲艦隊司令(同年11月まで)[3]。1941年(昭和16年)7月26日、戦病死。

海軍兵学校(39期)同期に伊藤整一

脚注

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  1. ^ 一説に「中将」
  2. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 47頁。
  3. ^ 【第十三砲艦隊司令】

関連項目

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外部リンク

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